勤労感謝の日、9月8日に引き取って在宅看護していた父があっけなく亡くなりました。
退院時に、このまま食べられなくなって、週単位か、もっても1,2ヶ月と主治医に言われました。
行き先がなくて、オットにお願いして引き取ると決めたとき主治医からは「いい選択をなさいました」と言われましたが、不安でたまらなかった。
それからは、仕事も休み、毎日付ききりの毎日でした。
どうしても用事のあるときは、ヘルパーを余分に入れて、次女にも頼み綱渡りのような日々でした。
酸素を入れて、尿道バルーンを入れて、痰の吸引をし、排泄、食事・・・
耳が極度に遠いので、大声で言うのですが、聞こえなくてため息の出る毎日でした。
それでも最後のほうは「悪いなあ。お前ばっかに迷惑かけて」
という言葉が出始めました。
この父からそういう言葉が出るようになったらおしまいかもと思ったけれど大当たりでした。
最後に会うべき人たちに会い、礼を言って死んでいきました。
慌しく葬儀を終え、今日は支払いを済ませました。
父の介護ベッドがおいてあった場所がぽかんと空いて、なんだかまだ慣れません。
何日も眠ってなかったので、身体はつかれきっているのに、神経は研ぎ澄まされてなかなか眠れぬ日が続いていましたが、昨夜は少し眠れました。
弟、母、父と7年の間に見送って、ようやくわたしの人生が始まるのかもしれません。
家の電話が鳴るのが怖くなくなるのでしょう・・・
退院時に、このまま食べられなくなって、週単位か、もっても1,2ヶ月と主治医に言われました。
行き先がなくて、オットにお願いして引き取ると決めたとき主治医からは「いい選択をなさいました」と言われましたが、不安でたまらなかった。
それからは、仕事も休み、毎日付ききりの毎日でした。
どうしても用事のあるときは、ヘルパーを余分に入れて、次女にも頼み綱渡りのような日々でした。
酸素を入れて、尿道バルーンを入れて、痰の吸引をし、排泄、食事・・・
耳が極度に遠いので、大声で言うのですが、聞こえなくてため息の出る毎日でした。
それでも最後のほうは「悪いなあ。お前ばっかに迷惑かけて」
という言葉が出始めました。
この父からそういう言葉が出るようになったらおしまいかもと思ったけれど大当たりでした。
最後に会うべき人たちに会い、礼を言って死んでいきました。
慌しく葬儀を終え、今日は支払いを済ませました。
父の介護ベッドがおいてあった場所がぽかんと空いて、なんだかまだ慣れません。
何日も眠ってなかったので、身体はつかれきっているのに、神経は研ぎ澄まされてなかなか眠れぬ日が続いていましたが、昨夜は少し眠れました。
弟、母、父と7年の間に見送って、ようやくわたしの人生が始まるのかもしれません。
家の電話が鳴るのが怖くなくなるのでしょう・・・
泣けて泣けてしかたないですよ。
お疲れが出ませんようにと願うばかりです。
しんどかったですね。
本当に頭が下がります。
泣くだけ泣いてそうして元気になってね。
お願いします。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
eiさん
早いもので葬儀から1週間すぎました。
後始末はまだまだですが、日を追うごとに父の言葉や顔が鮮明になって、もっと自分の人間ができていたら・・と悲しくなります。