クリスマスプレゼント
退院といふクリスマスプレゼント(稲畑廣太郎)
二〇二三年の十二月、クリスマス・イヴの朝、心臓の血管検査で入院した。手首から細い管を通して心臓の血管が詰まっていないかどうか調べる検査である。もしも狭まっていたり詰まっていたりしたら、その場でステントなるものを埋め込んで治療するという。
初めて行う検査。医師からは、「安全なものです」と説明を受けていたが、シンゾウにクダを通すなんてと、小心者のわたしはビビったのである。
わたしは、ひそかに身の回りの整理をした。生きるための検査を受けるのに死の覚悟をするなど大仰なこと、と内心では思いながら、万が一に備えようと思ったのだ。
当日の朝、家を出るとき、出勤前の長男が来て握手してくれた。後から聞いたが、大きな検査ではあるし、もしものことがあったらこれでお別れになると思って、という気持ちだったという(医師や看護師が聞いたら失笑するかもしれないが、親子ともども素人の哀しさゆえの寸劇だった)。
当日の朝、家を出るとき、出勤前の長男が来て握手してくれた。後から聞いたが、大きな検査ではあるし、もしものことがあったらこれでお別れになると思って、という気持ちだったという(医師や看護師が聞いたら失笑するかもしれないが、親子ともども素人の哀しさゆえの寸劇だった)。
次の詩は、そのときに書いたものである。
緊張の朝と、検査を終えたあとの安堵の夜。病室から見るクリスマス・イヴの景色は澄んだものだった。建物の中ではいのちのあわただしさがあったけれど、外では木立が風にしずかに揺れていた。
二〇二三年十二月二十四日、入院の朝に
1
心を傾けていま祈ります
どなたに祈っているか解っています
「できたらもう少し生かしてください」
「死が怖いのでなく 守るべきひと、その人が居るからです」
2
夜明けは凍えているが
赤ちゃんが命の歓びを天へ響かす
争いをやめよ 奢りで顎(あご)のエラを張るな
何人を愛せるか、幾つアリガトウの星を見つけられるか 今日
二〇二三年十二月二十四日、入院の夜に
1
病室の窓から鈴の音は聞こえない
病棟に響く咳、しわがれ声、看護師の小走りの音
良きおとずれはトナカイには乗って来ない
明日の退院が希望となる そんな小さな翼に乗ってくるのだ
2
暁方から夜更けまで
時間はわたしを刻みつづけた
―受付、採血、心臓検査、結果説明
刻み時計のカチコチが死から生へ向かう不思議を告げていた
翌朝、医師の回診があり、「検査後異常ありません」という言葉をもらって退院した。
治療が行われたらもう一日か二日の入院と言われていたが、検査だけで終わったので、一泊となった。が、その一泊でも、わたしには長かった。クリスマス・イヴからクリスマスにかけて、という特別の日であったこともあるだろう。命について、死について、病について、救いについて、家族について、他の患者さん方について、検査へのドキドキを感じながら、思いを広げて過ごした。緊張つづきのあとの退院である。まさに「退院」というクリスマスプレゼントをもらったのだった。
◆言葉に愛を宿したい。
◆いつも、ご訪問ありがとうございます。