クリスマスプレゼントⅢ
一年をふり返る日よクリスマス(稲畑汀子)
この出逢ひこそクリスマスプレゼント(稲畑汀子)
クリスマスが近づいてくると、この俳句を思い出す。稲畑汀子はカトリックの信徒であったという。
一年を新年から数えるひとは多いだろう。十二月三十一日の夜と一月一日の朝とでは、何かしら気持ちが変わっている。「これまでの一年をふり返り、新たな一年に思いをはせる」、まさに「一年のスタート」である。
だが、わたしは、二〇二四年の終わりに近づいたいま、自分の一年はクリスマスから始まるような気がしている。一月一日は暦の一年の始まり、クリスマス・十二月二十五日は第二の人生の始まり、という気持ちになっている。イエス・キリストがお生まれになった日、このご降誕日こそ、これまでわたしが生かされてきた人生のスタートであったと思うからだ。
初めにあげた俳句の「この出逢い」について、大事な人との出会いと受け止めることはできるだろう。恋人かもしれない、夫か妻かもしれない。良き友だち、良き先輩、良き師との出会いかもしれない。いずれにしても、尊く・かけがえのない存在との出会いにちがいない。
だが、わたしは、この「出逢い」をヒトとの出会いとは受け止めていない。神との出遭い、そのことを「出逢い」というのではないかと思っているのだ。
神が御子をヒトとして世に贈られた。罪の報いは死をもって償うというとき、ヒトの罪を背負い、自らが処刑されることでその罪を帳消しにされたイエス・キリスト。神は、そのイエスを、ヒトを救うためにこの世にプレゼントしてくださったのだ、それがクリスマスなのだ。そしてそのプレゼントを自分の全部を賭けていただく、―イエス・キリストと魂で出逢う、それこそがクリスマスなのである。
この出逢ひこそ
クリスマス
プレゼント(稲畑汀子)
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