改訂・「優」と「憂」と
1
優秀者たたえるひとの憂い顔
俳優の憂いの顔ののっぺらぼう
善人や 犬歯のひかる黄信号
トゲ隠し虫をあざむくバラの花
聞き上手 臓物までも嗅いでいき
「部外者はのんきでいいね」 川冷える
十字架の釘穴の血の朱い糸
2
憂(うれ)いをもつひとが優(やさ)しいとはかぎらない
憂鬱(ゆううつ)でふさがったこころに
あなたのかなしみをうけとめる
そのすきまなどないだろう
優しいひとに憂いがないとはかぎらない
優しいこころには
あなたのさみしさまでかんじとる
そんなきずがあるのかもしれない
3
「優しさ」の「優」はにんべん(イ)に憂い、と書く。「人はみな憂いを味わうと優しくなるのだろうか」と思ったのをきっかけにふり返ってみた。すると思いのほか、憂鬱を知ったひとは複雑な心をもっていたと思い当たった。
余裕がなくてひとのことなど構っていられないのか、自分ばかり不幸だと思うので、幸福に見えるひとが妬(ねた)ましいのか、その他の理由があるのか。ひとのいたみを全身で感じ取れる憂いというものを、それほどは見つけられなかった。
一方、優しいひとは結構もろく、弱く、そのゆえにひとに強く当たれないということがあると気づいた。芯のある優しさというより、ごまかすために優しいフリをしている人が少なくないのではと。自分に危険が及びそうになったら、さほど葛藤せずにその人を見捨ててしまうのではないかと。
そう思いながら、苦しみをとことん味わった人の深い、辛抱強い優しさにも思いが行く。―そう、「苦労人」と言われるひとのしんそこの優しさである。「愛」と呼ぶにふさわしい、その優しさ。
「優」という字の両面性、奥深さ、それをもっと探っていかねば。
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「優子」という名前のひとはいても「憂子」というひとはいないでしょう。「優」と「憂」にはその違いがあるのです。