祈りを、うたにこめて

祈りうた(聖句つれづれ  「命の恩人」キリスト 全三回の一)

聖句つれづれ 「命の恩人」キリスト 全三回の一


 
ネブカドネツァル王は驚いて急に立ち上がり、顧問たちに尋ねた。「われわれは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」
彼らは王に答えた。「王様、そのとおりでございます。」
すると王は言った。「だが、私には、火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」
(「ダニエル書」三章、新改訳聖書二〇一七年版)

〈要約〉国が亡ばされ、異国へ連れてこられた青年たち三人。その国の王に従い、金の像を拝めと命令を受ける。だが、三人は、自分たちの信じる神がおられる、その方だけに従う、と言って、命令を拒んだ。そこで、怒った王は、縛った三人を火の燃える炉の中に投げ込み、焼き殺せと命じた。ところが、その真っ赤に燃える炉の中で、三人は生きて歩いている。そして、その三人を生かしている四人目の存在がいる。その四人目の存在こそ神の使いだった、という物語である。



事故のときに聞こえた「声」


そのとき大きな音が響いた、という。
事務所にいた同僚たちは、土足のまま駆けつけた、という。そこで、金属の大きな扉がコンクリート壁の一部を打ち壊したのを見た、という。その壁の前、扉の幅だけの距離に私がたおれていた、という。
同僚たちは、私を抱えた。何か声をかけたそうだが、同僚たちも私も記憶にない。そのまま大急ぎで事務所に運びこんだ。
     
記憶がはじまったのは、背なかが、「板の上に乗っているらしい」と感じたときからだ。あおむけになっている私がわかった。うめいていたか、声も出なかったかは知らない。こわばった体が板のかたさを感じていた。
そばに誰かいたかもしれない、いなかったかもしれない。顔がすごく熱かった。その顔を手でさわる力もなく、勇気もなかった。目もあけられなかった。「大やけどを負っているのだろう」とだけ思った。とにかく顔がすごく熱かった。事務室の長テーブルの上で。

どれだけ時間が経ったのだろう。いつ目をあけたのだろう。いつ手を動かしたのだろう。いつ顔をさわったのだろう。いつ声を出したのだろう。遠くのほうで人の話し声がしていた。

さらに時間が経った。長いながい時間が経ったと思った。誰かが顔をのぞきこんだかもしれない。何人ものひとたちが私を囲んだ気がする。そして体を持ち上げられた。私は車に乗せられたようだ。ストレッチャー付きの病院専用車だったと、後から知った。そのまま病院へ運ばれた。
誰がつき添ってくれたのだろう。私ひとりだけだったかもしれない。いや、誰かがいたのだろう。

そもそも、このとき私に何が起こったのか。……



 唐突な始めかたをしてしまいました。これは二十五歳の私が、某研究施設で起きた「暴発事故」の当事者となったときのことです。
 当時私は、その研究所で、実験動物の飼育を請け負っている会社の社員として働いていました。数種類の、マウスを中心とした実験動物は、小さな金属のケージ(かご)におがくずを敷きつめ、そのなかで飼育されていました。室内にはたくさんのラックが並べられ、そこにケージが納められています。マウスたちへの餌と水やり、ケージの掃除、ラックと飼育室全体の清掃などが主な仕事でした。
 清潔さを求められる仕事なので、飼育室に入るときは作業着に着替え、白い長靴に履き替えました。キャップもかぶります。マスクもつけます。手指を入念に消毒し、さらに空気のシャワーを全身に浴びてほこりなどをはらいます。テレビで食品製造工場などの映像を見ることがありますが、厳重な衛生管理がなされていました。
 ケージは、私たちが手で汚れを取った後、巨大な蒸気滅菌機でまとめて高温洗浄されます。その扉は銀行の大金庫ほどもありました。
 蒸気滅菌機のある部屋は仕切られた所で、無人でした。一度スイッチを入れたら、誰もいなくても作動していたのでしょう。担当区域ではないので、私たちもふだんは中へ入りません。
 ところがその日、私は、自分の担当する飼育室の清掃を終え、ふとその部屋に近づいたのでした。なぜそうしたか、今でもわかりません。吸い寄せられたように近づいた、という感じだったのでしょう。
 私は何気なくガラス窓越しに巨大な装置を見ました。その瞬間、扉から蒸気が漏れているのが見えました。お湯が沸騰したやかんの、その蒸気のビッグサイズです。シュッシュッという音も聞こえてくるようでした(実際はガラス窓をへだててのぞいた光景なので、音は聞こえなかったのでしょうが)。「漏れている!」と、心の中で叫んだ気がします。
 ―ここからが我ながらあきれるのですが、私はその部屋に入ったのです。鍵はかかっていませんでした。私たちはそれぞれの担当飼育室を持っており、作業もひとりで行います。誰もそばにいません。そのときの私の行動を止める同僚は誰もいなかったのです。「立入禁止」と書かれていたかどうか。鍵がかかっていなかったことを思うと、怪しいところです。
 私はそのまま、蒸気が隙間から漏れ出ている大扉に近づきました。
 それにしてもと、今は思います。なぜ部屋に入ったのか、なぜ大扉に近づいたのか。さらにあきれるのですが、私は大金庫のようなその扉に手を伸ばしてしまったのでした。次いで、そこに付いている開閉ハンドルを握ったのでした。そして、ちょっとだけ、ほんとうにちょっとだけ動かしたのです。
 ただ、「動かした」といっても、実際は握ったハンドルを思い切り回したのではなかったと思います。わずかの力を加えただけだったのだと思います。何の知識もなく、怖さを知らなかった私は、「蒸気が漏れている。これはまずい。扉を閉めなくちゃ!」と単純に考えたのでしょう。そして扉を密閉しようとしたのです。時間にして何秒とさえいえない動作だったと思います。
 蒸気滅菌機の大扉は暴発しました。その扉に、私は弾き飛ばされました。


 ここからはじめの唐突な書き出しにつながります。長いイントロになってしまいました。
 私は飛ばされて、壁にたたきつけられた、そして床に倒れた、大怪我だった、という情景に映ったかもしれません。アクション映画の一場面みたいに。しかし、実際は違いました。ハンドルを握ったとき、私の体は確かに扉の正面にありました。その位置のまま扉がとつぜん開き、蒸気がいちどきに噴き出したのだったら、私は金属の大扉とコンクリートの白壁とにはさまれていたでしょう。大怪我を負ったにちがいありません。後で同僚から聞かされた「扉がめりこむような有り様で、大きく壁が壊れていたよ」という状況だったので、死んでいたかもしれません。
 ところが不思議なことが起こったのでした。
 私がハンドルに手をかけ、わずかに動かそうとしたまさにその瞬間、
「左ニ下ガレ!」
という「声」を聞いたのです。
 私はすぐ、一歩、あるいは半歩、左後ろに身を引きました。電車のドアが開き、降りてくる人のために半歩脇に下がるような感じです。誰かの命令だと思ったのでしょう。その直後、ハンドルに力を入れたのでした。
 私は飛ばされました。が、大扉もろともでなく、扉は右に開き、私は左にはじかれたのです。私の顔、いや全身に高温の蒸気がかかり、圧力で体は飛ばされました。そして、飛ばされた所にあった金属製の台に腰をうちつけ、腰椎にひびが入りました。けれど、それで済んだのでした(もしその台がなかったら、私は後ろ向きに倒れ、後頭部を床に激しくうちつけていたと思います)。
 「すごい音がしたので駆けつけた」という同僚の言葉でしたが、私には音の記憶がありません。近すぎる距離で大音響を聞くと、音として意識されないのでしょうか。それにしてもあのときの「左ニ下ガレ!」という「声」。鋭く・強く・抗いがたい声、けれども大きくはない声。それが聞こえなかったら、私はどうなっていたか。
 事故以来、フラッシュバックを幾度となく経験しました。けれどそれに耐えながら、当時の場面をたどろうともしました。すると、いつも不思議な気がするだけです。巨大な力に鷲づかみにされて助かった、という畏れのような気持ちがわいてくるばかりなのです。
 「ダニエル書」に描かれた「第四の者」の存在、それが、あのときの巨大な力、声の発し主だったのでしょうか。



★祈り求めるものはすべて得たと信じなさい。その通りになる。(聖書)
★いつも読んでくださり、ほんとうにありがとうございます。
 今回の連載は3回になります。通して読んでいただけたらうれしいです。

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