聖句つれづれ 「命の恩人」キリスト 全三回のニ
ネブカドネツァル王は驚いて急に立ち上がり、顧問たちに尋ねた。「われわれは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」
彼らは王に答えた。「王様、そのとおりでございます。」
すると王は言った。「だが、私には、火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」
(「ダニエル書」三章、新改訳聖書二〇一七年版)
〈要約〉国が亡ばされ、異国へ連れてこられた青年たち三人。その国の王に従い、金の像を拝めと命令を受ける。だが、三人は、自分たちの信じる神がおられる、その方だけに従う、と言って、命令を拒んだ。そこで、怒った王は、縛った三人を火の燃える炉の中に投げ込み、焼き殺せと命じた。ところが、その真っ赤に燃える炉の中で、三人は生きて歩いている。そして、その三人を生かしている四人目の存在がいる。その四人目の存在こそ神の使いだった、という物語である。
神の御わざ
1
事故にあった私ですが、その原因の一つとなった愚かさ、軽率さは、私自身のものでした。もしかしたら「従業員の過失による、あるいは施設の安全管理に問題ありの死亡事故」などという新聞記事が書かれていたかもしれないのです(実際は、その研究施設が事故の情報漏れを防ぐためにすぐに救急車を呼ばず、提携病院の患者搬送車を呼んだということを、ずっと後になって、会社の上司から知らされました。破壊されたコンクリート壁は、すぐに修復されたとも。事故そのものがなかったことになったようです)
けれど、「私のミスを払いのけてまで救ってくれたのは私自身ではない」という気持ちが消えません。信仰をもたない人からすれば、「神がかり」みたいなことかもしれませんが。そして、私もまた当時クリスチャンとなってはいなかったのですが。
2
しかし、信仰に「神の御わざ」が働き給うことは疑いません。神の御わざは人間のわざを超えるのですから。われわれ人間を超えた力をいただくのですから。今ならそれがわかります。
「神の御わざ」―それを強いて言葉にするなら「愛と憐れみに満ちた行い」ということでしょうか。あのときのわざは、偶然のことでなく、まさしく神のものだったのではないか、こんな私さえも憐れみ、思わず声を発してくださったのではないか。神さまが私の「命の恩人」となってくださったのではないか。クリスチャンとなっていなかった私なのに、なぜか憐れみ、愛してくださって。
「おまえは無謀にも余計なことをして自分の命を危険にさらそうとしている。そのままハンドルに力を入れたらコンクリート壁まで弾き飛ばされる。そこへ、金属製の大きく重たい扉が激突してくる。内臓がつぶれるか頭がくだけるかにちがいない。だから、そうならないように身をよけておまえ自身を守れ! 左ニ下ガレ!」
3
はじめに聖書の言葉を引用しました。「ダニエル書」の御言葉です。
「ダニエル書」を書いたダニエルとその仲間たちは、信仰に篤い人です。たとえ自分の命を失っても、自分が信じる神以外を敬うことはしません、人間である王にひざまずきません、金の像を拝みません、と言い切りました。それゆえ王の怒りを買い、灼熱の炉に投げ込まれるという刑罰を受けたのです。火を焚く家来たちが、炎の熱さで焼け死んだというほどの炉にです。
そのような信仰者と私とは、比べることさえできません。ただただ神さまが私に声を発し、助けてくださった―ということだけをお伝えしたいのです。
先に書いたように、そもそも私は当時、イエス・キリストを救い主と仰ぐ者ではありませんでした。求道(きゅうどう)中の者ですらなかったのです。
そればかりか、二十五歳になっても、一九七〇年代の学生運動での挫折感をひきずっている者でした。大学を中退した私には、目標も、日々の充実感もありません。世の中には強い不平不満を抱いていました。それ以上に、自分自身に情けなさを感じ続けていました。仕事にも誇りがありませんでした。人生の展望がひらけないまま、不安と不穏が生活の気分を占めていました。ひとに対しては傲慢と卑屈の両面を見せる者でした。自分自身というものが無い者だったのです。生きる目的は何かと問われたら、答えられなかったにちがいありません。
そのようなときの事故です。出口の見えない暮らしをしていた、まさにそのときの事故でした。
4
仰向けになると激しく痛む腰をかばい、一晩中うずくまって夜が明けるのを待ったことが何度もありました。後頭部から背中一面、板のようにかたくなっていました。頭痛は、大げさでなく二十四時間絶え間なくありました。頭に輪っかをはめられているようでした。
全身打撲のそんな後遺症が長く続いたせいと思いますが、痛みや不快感や全身の重だるさに負け、投げやりな気持ちになりました。思いが「死」に傾きました。事故に遭ったとき九死に一生を得たのに、その後のこの苦痛は何だと、突き上げてくる怒り悲しみ不安むなしさなど、もろもろの思いがありました。「死」は身近にありました。
「あのとき、傲慢さにバチがあたったのかもしれない」と思うこともたびたびありました。
二十五歳の私は傲慢でした。それまで何かを果たしたわけでもないのに、また何かを志しているわけでもないのに、おごっていたのです。学生運動での挫折者、長いアルバイト暮らし、怠学・休学の挙句、家族に無断で退学した者、十九歳で家を出て以来実家にほとんど帰らず、母の世話もしなかった者、そんな、どこにも誰にも誇ることがない者だったのに。
勤めてそれほど経っていない研究施設。傲慢のピークを迎えた場所。
「動物の飼育」自体はいやでない仕事でした。マウスのつぶらな瞳は可愛いものです。児を産んだばかりの母マウスが、三十センチにも満たない透明なケージ(かご)の隅っこに逃げ、全身でたくさんの児をかばい、飼育員の手がケージ内に入ってきて給水器を取り替えたり、餌箱をチェックしたりするのをおびえた目で見るその目は、今も記憶にあります。我が子を守ろうとする必死の目でした。
けれど、「飼育員」という立場は複雑でした。高校を出て間もない年下の人たち、定年退職をした年上の人たち、それらの人たちと一緒に仕事をする。明日を語り合うような会話は少なく、休憩時間は昨日今日のテレビの話や世間話がほとんど。業務についての話も出ません。また、その研究施設には研究員がいて、私たちが世話するマウスやうさぎや犬などを使って実験し研究していました。下請け会社の私たちと協力し合うという雰囲気はありません。「専門家として上にいる人たち」と映りました。
それらもろもろが、正直なところ面白くなかったのです。どれほど強いプライドだったのでしょう! 自分自身の我慢のなさや薄情さを棚に上げての不満なのです。生来の無礼さ・傲慢さとしか言いようがありません。傲慢さのピークでバチが当たった、そう思いました。
「罰(バチ)」という思いは結構根深いところにありました。父と母が新興宗教(仏教)の信者だったことが大きいのではないかと思います。仏は、人間を見ていて、間違いを犯したり、おごり高ぶったりすると、バチをあてるのだと、そう聞かされてきた気がします。「仏罰(ブツバチ)があたる」という言葉でした。「悪いことをするとバチが当たるよ」。その言葉だけに反応して、仏は恐ろしい存在なのだと、思い込んでいたのだろうと思います。―ただ、仏教の深さを知らない者が、軽々しく仏について口にすることは控えなくてはなりません。私には仏の愛が分からなかったのです。
「仏罰」という考えのその延長で、「神罰(シンバツ)」もあると思いました。臆病者の私は、神も仏も「罰」を与える存在であると信じてきたのです。その後聖書を読むようになったとき、「神は愛です」という御言葉に出会いました。「神」は「愛」です、「罰」ではないのです! あのとき全身に走った衝撃は、今も覚えています。「神は愛なり」、そう断言されていたのです。思いもつかない光の世界がとつぜん開けた気がしました。
★祈り求めるものはすべて得たと信じなさい。その通りになる。(聖書)
★いつも読んでくださり、ほんとうにありがとうございます。