祈りを、うたにこめて

祈りうた(聖句つれづれ  神さまへのジャンプ)  

聖句つれづれ 神さまへのジャンプ


神は信頼に値するかたです。(新約聖書「コリント人への手紙Ⅰ」一〇章)


 息子が小一くらいの頃の話である。
 私が帰宅すると、息子は玄関の上がり口で待ち構えていた。私は、カバンを置き、足を踏ん張り、両手を広げる。
 「さあ、来い!」
 そのかけ声で、息子は私めがけてジャンプする。サルが木の枝から別の枝に飛び移るような勢いである。軽いといっても小学生だ。私は、ちょっとよろける。よろけながらも両腕でキャッチする。そして息子を抱きしめる。
 息子は、身を空(くう)に放つとき、私がその全身を受け止めることを信じきっていた。そしてそのまま強く抱きしめてくれることも。
 「神は信頼に値するかたです。」―神さまも同じだなと思う。
 神さまは、私たち人間に、特に弱い人に、いつでも両手を広げて待っておられる。「さあ、おいでなさい!」と言って。勇気を出して、ためらわないで、わたしの胸に飛びこんできなさい、と。
  神さまへのジャンプ。
 どうしようもない自分だと卑下することが癖になっていてもかまわない。グズグズの自分だと情けなく思っていてもかまわない。目に見えない神に身を任せるなんて賭(か)け事みたいだと、そう思ってもかまわない。そもそも神頼みなんていくじなしのすることだと、プライドがゆるさないような思いがあってもかまわない。
 聖書をほとんど読んでいない。イエス・キリストってよくわからない。罪とか救いって、ピンとこない。祈り方だって知らない。―「ないない尽くし」でもかまわない。
 まず思いきってジャンプする。エイヤッとジャンプする。これが大事、と思う。
 三十歳を過ぎた私がジャンプしたとき、神さまはよろけなかった。足腰ががっしりしていた。私の体当たりを、「ずっと待っていたよ」と、受け止めてくださった。そして抱きしめてくださった。その腕はたくましく、掌はじわっと温かかった。
 
  息子との「儀式」はいつまで続いたか忘れたが、今も懐かしい。






★神は愛です。(聖書)
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