1930年代生まれで、旧名はデハ510系と言われていて、東急に吸収される前の目黒蒲田電鉄や東京横浜電鉄で走っていたそうで、会長の仰る床が木でワックスがけの車両はこの辺であったと思われるのであります。この塗装は、50年代から60年代半ばまでなので、馬込の写真を撮っていた時期と同じころで、この塗装の最後の方の時期だと思われるのであります。この踏切は、荏原町の大井町側でありまして、いまはなきというか、どこにあったのかですが、なぜか覚えているような「荏原ドレメ女学院」の看板が印象的であります。また、手前には質屋のマルカの看板もあるのであります。この写真で待っている人が踏切内に入っているように見えるのでありますが、遮断機はあるようです。
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さて、荏原町駅の旗の台側の踏切ですが、こちらはモノクロ写真でそれに相応しいセミステンレスのエコノミカルカー6000系であります。カラーではない方がディテールが出るようであります。
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6000系は、やはり鋼鉄車両から一線を画した5200系のあとに1960年にデビューして、東横線から田園都市線で運用されたのであります。行き先板をみると「大井町-溝ノ口」と書いてありますが、「溝ノ口」が駅名変更で現在の「溝の口」になったのが1966年なのでそれ以前の写真ということが分かるのであります。この写真では、左端になんとミゼットが写り込んでおります。こうやって、ミゼットの姿を見ると700系新幹線の前頭部に見えるのはアタクシだけでありましょうか?デザインというのは結構面白いものであります。
荏原町の遮断機もない懐かしい風景でありました。