今回は、日本人の排他性の変遷について考察してみようと思います。
人間が個人的に程度の差こそあれ、排他性を有するのは日本人に限った事でなく、世界中の人々に共通のものです。
特に自分が所属する社会で自分がマジョリティーである場合、マイノリティーに所属する他者を排斥するのは、程度の差こそあれ世界共通の傾向です。
深刻な場合では、人種差別や宗教差別などの人権の侵害につながるようなものも残念ながら、現在に至るまで根絶することができていないのが現実です。
だからと言って、私は性悪説を信奉するものではありません。
結局の所、それは人間が社会的生物であって、自身のアイデンテティが帰属するグループが円滑に運用されるように自分達と異質な者を排斥するという心理学的な側面が強く、人間が他者をいたづらに排斥するものではなく、その生活形態においてそれなりの必然性があるからそうしているにすぎず、決して悪意のみから派生する感情ではないと思っています。
先にあげた人種や宗教的差別もねっこをそれに起因しているのは間違いありません。
ただし、この差別の原因に悪意が加わる場合も存在し、そういう場合そうでない場合より事態は深刻になるようです。
概ねそれがどういう場合であるかを考察してみようと思います。
私は、この悪意も原因とする排斥行動が比較的似ている日常的な事象は、いじめや陰口などの日常的に発生する悪意も原因に含む排斥行動を例にとることで実感として理解しやすいのではないかと思います。
陰口に関しては、概ね劣等感に由来する場合が多く、しかしその劣等感から生じた攻撃性が直接相手に向かわずに、陰口という形態を取り易いのは、自分の攻撃性を直接本人に向けるのは(直接相手に言ったり、公の場で公表することです)は自分が返り討ちにあうリスクが生じるために避け、安全な場所から、しかも虚構で相手を陥れる手法は当時者の卑怯な心が原因で派生する排斥行動と言えるでしょう。(本人に全く自覚は無いでしょうが)
自身の攻撃性を正当化するために、でっちあげの誹謗中傷を仲間と確認しあうことで自分の正当性を確認しているのです。(もちろん悪意に基づく他人の解釈ですからその陰口には欠片の真実も無く、全くのでっちあげで正当性など微塵も無いのが通常です。そもそも他人もやっているから自分も他人を傷つけても良いなんて論法が成立するはずも無いですがw)
つまり言いたい事があるのならこそこそ隠れて嘘を振りまいて相手を陥れるのでは無く、まっこう勝負で真実のみを主張するように細心の注意を払って堂々と表明すべきということです。
もっとも他者を傷つけるという結果においては大同小異ですが、陰口よりはよほど人間的で後ろめたさのない方法で且つ悪意を原因として発生する行為では無いと言い切れる所が陰口よりはるかに優れた方法だと思います。
また、抱いている劣等感が、当の本人に起因しない場合も多々見受けられます。
先のいじめの例をとれば、いじめの攻撃性は勉強のできる子、女性として魅力ある子など攻撃性を相手に向ける理由が本人に対する劣等感である場合があります。
しかし、一方で相手が自分より優れていると自身が思っていない子供にもいじめの矛先が向くことはしばしば存在します。
これは、彼(彼女)が所属する社会で高く評価されていない不満を特定の弱者への攻撃的行動によってはらしているという理由に根ざしています。
よくいじめる側の人間はいじめの標的になる子にも原因があると自己弁護します。
これは、いじめの第3者に良く思われたい心理が言わせることでいじめの原因がいじめられる側にもあるというのは、全くの虚構である場合がほとんどです。
一方で確かにいじめられやすい子が存在するのも事実で、多くはその子が攻撃されても反撃できる性格では無い、あるいは内向的な性格で親や先生といった大人、言い換えれば自分の所属する社会における強者に悩みなど相談できない子に矛先が向く場合が多いです。
身も蓋も無い言い方をすれば、彼らにとって単に憂さ晴らしに過ぎない、いじめという犯罪行為かそれに順ずる行為をしておきながら、その結果受けてしかるべき社会的制裁からは逃げたいという極めて身勝手で卑劣な心に端を発する最低人間の排斥行動に他なりません。
本人は自覚していませんが、そもそもそれを自覚できるほどの人間性と知能を有しているならこんな事しませんから当たり前ですけどね^^;
つまりいじめられる子にも原因があるという彼らの言い分は全くの虚構であり、ほとんどの場合自己弁護、自己欺瞞に起因するものに過ぎないのです。
繰り返しますが、自分は安全な所からそういった社会的弱者でうさをはらす行為をリスク無く行いたいという、極めて卑劣な人間性に根差した行為と言い換える事が可能でしょう。
社会に存在するさまざまな悪意も原因とする排斥行為には概ねこのような心理的特徴を持つことが多いようです。
私の実体験で一例を挙げます。
私は、本ブログにネット上で誹謗中傷する者達についての考察を一定期間で再掲しています。
それは彼らの標的になっているために自衛的側面があるものの、それが社会にとって決して軽視してよい問題では無い事を踏まえての事です。
少しその考察と重複しますが、彼らが概ねニートという社会的底辺である不満を何の罪も無い他人を嫉妬心という劣等感から多人数で繰り返し誹謗中傷する事で対象者を貶め読者に彼らの作った虚構をいかにも真実のように信じこませる事て騙し結果その行為で彼がゲーム上で不利益を被るであろうと妄想して快哉を叫ぶという、彼ら特有のうさ晴らしをしているに過ぎない事は明白で、先の心理的傾向と似通っていると言えると思います。
もちろん、ニートが全ての悪の原因などというバカげた事は思っておりません。
彼らとネット上でコミニュニケーションとできる範囲で取った経験からニートの方のほとんどは、彼らのような卑劣漢、人間的に破たんしている最低人間という訳では無いのはわかっています。
ほとんどのニートの方はひきこもりのような病気に由来する気の毒な方か、あるいは新卒時に就職氷河期だったためなどという必然性がありニートもしくは非正規雇用の低賃金に甘んじている同情すべき理由がある方がほとんどでした。
ちょっと脱線すると、そういった社会的弱者の方達に必要な社会的支援が極めて不足している現状を非常に憂慮しております。
話を戻しますと、私を狙って誹謗中傷したスレッドで彼らとコミュニケーションをとり、社会的自立促す方向で彼らと議論を戦わせた結果当該スレッドに居た100人近いた書き込み者を現在では3~4人まで減らす事ができました。
まあ、その残った3~4人こそ箸にも棒にもひっかからないような連中で、性根がねっこから腐っているので社会的自立を促すどころの騒ぎじゃ無く、そもそも悪意しかないからコミュニュケーション自体成立しないので、彼らを更生させるのはそうそうに諦めて関わらないようにしているのに、未だになんの接点も無い私の誹謗中傷を繰り返す通常ありえない粘着質な逆恨みを原動力にそのような排斥行動をいまだに手間暇惜しまず続けているわけで、あえて彼ら風の言い方をまねすればまさにきちがいざたと言えるでしょう。
私に言い負かされる度にスレッドを廃棄して彼らが後生大事に倉庫に保管している私が参戦する以前の私の反論がのっていない彼らの誹謗中傷が絶好調だったころのスレッドまで遡って新規スレッドにコピーすることによって私に敗北した記録を都度消去して新規スレッドにコピーして、恰好だけは整えてますw
何故そんな面倒な方法を取るかというと、過去ログ倉庫に保管されているスレッドはスレ主以外書き込みを含むすべての変更が不可能で、すなわち私が手出しできない安全地帯に彼に取っての宝(ぷぷっw)をかくまっているのですwww
そこまで面倒な事をしても私に繰り返し敗北を喫した事実に代わりはないのにも関わらず、彼ら的には敗北した証拠さえ無くなれば私に負けていないことになるのかなあなどと想像の翼広げて(何しろ会話が成立しないので彼らの表面化する行動と虚偽しか言わないけれどもその言動から推測可能な事を除くと彼らを理解することは困難通り越して全く不可能だったりします。
少なくとも私ごときには・・・ですがwww
なんでも人のせいにして生きていける奴って社会的底辺に属していようが、能力的にも人間的にも最底辺に属していてさえ、ある意味幸せだよなあとぼんやり思う私なのでしたww(これでも彼らの誹謗中傷に比べるとオブラートに厳重にくるんだ発言だったりします、驚いちゃうでしょ?wwww)
まあ、一般的には相手に与えるダメージは本当の事を言っている私の方が大きいはずなのですが彼らは普通ではありませんから、どこか回路が1本はずれているのかあるいは人類と思考形態が本質的異なるのか理由は定かではありませんが、私の悪意のしたたる物言いで彼らの認識していない彼らの醜い真実を突きつける最高に痛いはずの舌鋒にもあまり痛みを感じていないらしく、むしろそれくらいの最悪の方法に訴えないと言葉では彼らの眉筋一本動かせません。
経験上彼らがありえないくらい自分に向けられる悪意には狂ったような怒りを覚えるものの、当然普通の方なら立ち直れないくらいの心の痛みはほとんど何も感じていないようです。
経験上、人を騙す能力、誹謗中傷の能力を除くと、全ての能力と人間性で劣っているために、私がいくら言葉極めて彼らの醜い真実を突きつけても、ご都合主義でそれを私の作った嘘としか認識しないし、またあまりにも低いありとあらゆる能力と感性のせいで、それが真実という正しい認識が不可能という原因に行き着くでしょう。
ちなみに、もちろん彼ら以外の方に上記のような悪意のしたたる物言いをしたことはありませんし、今後もしないでしょう。
私にも節度はありますのでw
また、彼らの誹謗中傷が現在絶好調で無くなった理由は彼らの誹謗中傷のパターンと読者を騙す手法の全てを私が過去にスレッドで暴露してしまったので、彼らは通常の誹謗中傷を継続することが不可能になったのです。
さすがに証拠が無くなっても読者に記憶力があることには彼らですら思い至ったようですwwww
彼らの現在の私に対する彼らの誹謗中傷のテンプレートは何の根拠もなく私が基地外だと繰り返し叫ぶだけになってしまいましたwww
そう主張する虚偽の理由さえ記載してないのは、理由を書き込めば私に論破されるのが確実だからで、そこまでしてあの下水道に例えられる、したらばの過疎スレッドに執着し続ける彼らがあまりにも哀れであると言えなくも無いかもしれませんが、私的には他のしたらば住まう人間を除いて彼らに限ぎって言えるのは自業自涜、因果応報に他ならないですねwwww
話を戻しましょう、先述した手法で多くの書き込み者を社会的自立に導く事ができたと推定されます。
もっともスレッドを去った全員が社会復帰にチャレンジしてくれたかというと、そういうことは残念ながらありえません。
スレッドを去った子達の中にはうっとうしい説教おやじからのがれるために、他の鯖、他のゲームに流れて性懲りもなく同じことを繰り返している連中も少なからず居るのが確実ですからw
社会に復帰して行った方達は、先述の超少数派の卑劣漢と異なり、能力が高い方も多く一流大学の出身者であることもめずらしくありませんでした。
両者に共通しているのはかって誹謗中傷していた原因が劣等感と嫉妬心であることくらいで、社会復帰を目指した方達は、少々要領が悪いだけの普通の若者であって、後述した3~4人の救いようの無い卑劣漢とは根本的に異なる生物くらい違うと彼らの名誉のために明記しておきます。
彼らの悪行を彼らのスレッドで彼らの人間性まで指摘して彼らを怒らせ(人間本当の事を言われた時が一番腹が立ちますからw)そののちに彼らと私なりにしっかり向き合う事で彼らの本音を引き出し、彼らにいくつかの段階を経て社会的自立を目指して挑戦したくなるように自己流ながら書き込みで誘導を試みました。
順不同ですが書き込みの一例を上げれば今の圧縮されてしまった新人教育では省略されている会社人としてうまくたちまわるためのテクニック的な情報を列挙したり、あるいは彼らが過剰に感じて打ちひしがれている敗北感と自分が社会人として必要なものに欠けているのではないかという事実無根の不安を取り除くための書き込みなどです。
そして私の最終兵器は失敗を恐れず何回でもチャレンジすれば必ず報われるということを彼らが受け入れやすい言葉で且つ飽きられる事の無いように同じことを色々な表現方法で幾度となく伝えたのでした。
それでは、ネット上での匿名で特定人物を誹謗中傷で傷つける行為と私の彼らの多数を社会復帰する気になるまで段階的にそれぞれ目的の異なるレスの戦略をご紹介します。
まず最初に彼らの誹謗中傷という排斥行為は犯罪行為もしくは犯罪スレスレの行為であり彼らの劣等感から発生しているので、更にあまり褒められたものでは無いその衝動の元になった人間性にまで言及して、様々な証拠を上げて繰り返し彼らが自分自身を騙しきれない所まで追い込みました。
続いてその行為はとても恰好悪い事だと言う事を彼らが納得がゆきまた彼らが受け入れ易い表現で何回も周知されるまで表現を変えながら繰り返しました。
おまけに、こういう行為は君の醜い心に原因をもっているが、それは好きな貴方の嫌いな一部分にすぎないとフォローを入れるのも忘れずにしました。(そうしないとあまりにも救いの無い展開になってしまうし、それは彼らの正しい鏡足りえていない事実が厳然として存在していて、ぶっちゃけ彼らは私が突きつけた彼らの醜い真実は彼らのごく一部分にすぎず、本来の彼らに戻るきっかけさえあれば結構良い奴であったりするのですw
こうする手順を踏む事で大多数の誹謗中傷の書き込みは姿を消しました。
また彼らは少しづつ本音で書き込みしてくれるようになったのです。
少し時間を遡りますが、驚くべきことに彼らは自分が犯罪行為をしている認識が無かったことが判明しました。
彼らの中には知的に高い水準にある子も少なからず居るにも関わらず、ろくに六法も知らず、知的水準が高ければ法律の実際を調べる事は容易であるにも関わらずその手間を惜しんだのか、あるいはそれに関して知的水準が高いグループの人は何かの理由でレスを全く付けなかったのか理由は不分明ですが彼らの行為が犯罪行為であると指摘した私のレスに対して付いた彼らのレスは揃いも揃って完全にでっちあげの法律論を恥ずかしげも無く振り回したもので、その行為は犯罪では無いと断定していました。
それは明らかに意図的に法律を改ざんして都合の良い内容にしたものでは無く、そもそも元の法律自体全く知らないのが明白なレスばかり付いたので驚くべき!なんですがw
彼らを脅すふりして揺さぶりを掛ける必要があった時に、手段として私が被害届けを所管のサイバー捜査課に提出できるというレトリックを使った時のことです。
私が実際にそうしないのは単に面倒臭いし、確かに彼らの犯罪行為で被害を被ったのは事実ですが、彼らのスレッドで彼らの虚構を暴いてこと名誉に関してはすでに回復済みだった事もあります。
そして何より最大の理由は彼らを前科者にして彼らの前途を暗雲立ち込めるものにしてしまうのはいくらなんでもやってはいけないという配慮が働いたからです。
彼らの犯罪行為と言ってもはっきり言って微罪扱いですw
彼らの行為を最も重くさばくには、刑事罰での名誉棄損で立件することですが、この従来の民法に古くから存在する犯罪を記した法律は完全に時代遅れでネット上での該当事案としては犯罪として立件するのが非常に困難というデメリットも存在するので、検察は立件できなくなるリスクを犯さない可能性が高いです。
しかも最も重い処罰と言っても50万円以下の罰金もしくは1年以下の懲役というしょぼい犯罪だったりします。
もっと最近の法改正でネット上の犯罪行為を取り締まるために整備された新しい法律とそこに記された新しい犯罪は立件がかなり簡単になりますが更に懲罰は軽くなりしょぼしょぼ犯罪扱いですw
ちなみに立件するのはどちらの場合も検察が主体者となります。
私は被疑者不詳で所轄のサイバー捜査課に被害届けを提出するだけで、告訴さえする必要がありませんから金銭的負担はびた1文生じないのですし、面倒臭いと言っても書式や用紙が定まったものではありませんから行政書士のお世話になる必要さえありません。
むろん、いくら自由に書いて良いと言ってもある程度のルールが存在しており、この場合で滑稽な例を挙げると被害届を提出する際に添付する被害を受けた事を立証する証拠物件は、当該被害が生じたスレッドのURLでは無効で、そのスレッドをまるごと電子情報として落としたメモリでも証拠として認めてくれず、実際の被害を受けたレスを印字した書類を提出する事で初めて被害を受けたと認定してもらえる証拠たりうるのですw
これは、最新の判例に例外的判断が下ったものが存在しますが、基本的に電子情報は証拠として採用されません。
その理由は、電子情報は容易に改ざんできるからという理由なのですが、その代替で証拠として採用されるのは先述の通りその改ざんが容易な電子情報を印字した書類なのですw
最もこんな滑稽な事態が発生するのは警察や裁判官が無能だからでは無く、極めて手間と時間がかかる法改正作業が社会の進歩に追いつく事ができないためで、法律に不備があるのは関係者にとって当然周知の事実で受け入れなければならない不条理であって、現在有効な解決策が存在しないからみんな諦めているらしいですw
さて、訴えるに当たっての費用の発生まで話を戻します。
先述の通り私が仮に彼らを訴えるとしても金銭的な負担が全く発生しないのは先述の通りです。
しかし、彼らは私が彼らを訴えるに当たって多大な金銭的負担が必要と固く信じていました。
もちろん、正当な根拠のある判断では無く、彼らの無知が理由のひとつであうもののもうひとつの理由は彼らが自分にとって都合の良い事しか信じない傾向を有しておりそれがエスカレートして自分が作り出した虚構であっても多くの誹謗中傷仲間から賛同されると自分が作った虚構である事実さえ忘れてそれを真実と思い違いしてしまうという冗談みたいな彼ら固有の特質に最終的にたどりつきます。
彼らのそういった常軌を逸した思考は、彼らが誹謗中傷の書き込みを辞めて素直になるのと並行して改善して行き、最終的に社会的自立を決意する頃には、どこにも居そうな単に要領がちょっと悪いだけの普通の若者に変貌していました、というか本来の彼らに戻ったのでしょう。
結局の所、誹謗中傷スレッドの虚構しか存在しない世界の狂熱が文字通り彼らを一時的に狂わせた結果だと考えると筋が通ります。
だからこそ犯罪行為だけれども微罪であるし、当事者に犯罪行為の自覚すら無い事ではあるけれども、世の中に存在する誹謗中傷スレッドの集団心理が及ぼす諸問題、社会的影響は看過できないと私は思うのです。
話は変わって、彼らの中には、頭が良くて一流大学卒の子も少なからず存在することは先にご紹介しましたが、彼らの多くが彼らのグループ固有の挫折経験を有していました。
というのは、知的水準が高く一流大学卒のキャリアもつグループの子は本人の自尊心と親の見栄を同時満足できるネームバリューのある一流企業に入社した経験がある子が多かったように見受けられました。
それが何故挫折してしまうかというと、ひとつにはこの問題行動を取る子に限ると、引っ込み思案である場合が非常に多いようで能力の高低に関係なく、経験不足からコミュニュケーション力が著しく低いようでした。
そして彼らが徐々に心を溶かして本音で話してくれるようになるのにともなって客観性の欠如とコミニュケーション力が能力相応に育っていない事に改善が見られました。
まあ、改善というのは私のみ時系列でのみ真実であって、客観的事実は元の彼らにもどっただけなのは繰り返し主張するところです。
しかし最終的に本来の彼らのコミニュケーション力に戻ったところで、それだけでは明らかに不足なのは明白です。
彼らに同じ失敗をくりかえさせない私の切り札は、彼らに入社して3年間は上司に高い評価を受けている先輩の真似をしなさい、自分のスタイルを作るなんて十年早い、ともかく社風や気風の違いでホウレンソウの方法論すら変わってしまうくらいだから、ましてや服装なんかの社風に極端に左右されることに関して私はみんなにアドバイスできないからという2つめに重要な理由を提示して、もっとも重要な目的はあえて伏せておきました。
その目的というのは、彼を優秀な先輩になつかせる事です。
彼らは少なからずコミュニケーション力が能力相応の成長をとげていないために、円滑な人間関係を構築するのを苦手としていて、引いては組織から疎外される結果を招いた子が少なくないのをご紹介した事を思い出して下さい。
そのような危機を回避するのに経験不足によるコミュニケーション力の不足を短期間で補える都合の良い方法などあるわけありませんから、次善の策としてこのアドバイスを切り札にしたのでした。
すなわち職場で良好な関係を構築できない事が致命傷になったのだから、職場全員は無理だけれども、上司と上司から評価されているできる先輩という2人のキーマンだけでも押さえておけば最悪の事態の再来を防ぐ事がたやすいはずだし、その2人の将を射落とすのは逆に簡単であろうと推測できたからです。
先のアドバイスの真の目的は彼をできる先輩になつかせることなのは既に明らかにしましたが、その結果得られるであろう彼の成果についての説明がまだでしたのでこれから明らかにしたいと思います。
彼ができる先輩になつくようにしむける事は、事実上彼がその先輩にかわいがられるであろう事とニヤリィイコールである可能性が高いからです。
もう少し詳しく説明しますと上司から高い評価を受ける先輩は単に仕事ができるだけでなく人間性もある程度の水準にある可能性が高いです。
それは、彼の直属の上司は中間管理職であり様々な責任を負っていますが、大抵のその職責にある人が高い優先順位を与える業務は職場の良好な人間関係を維持することであり、その彼から高い評価を受けるには仕事ができるのみならず人間性にもある程度成熟している必要があるのは彼が良好な職場の人間関係に腐心している事実からかなり高い確率で期待できます。
そうであれば、彼は真似するにあたってさまざまな事をできる先輩に質問する必然性が生じて当然職場の誰よりも接点は多くなります。
基本的に彼らは総じて人見知りで不器用だけれども根はまじめで純朴という共通の性質を有しており、であれば私の最重要だというアドバイスを実行するためにだけで必然的にできる先輩になつく事になります。
身も蓋も無い言い方をすればそれらの特質のために彼には彼に取ってそれ以上の選択が無いからに外ならず、ただでさえ自分だけになついた後輩が可愛くない先輩がいるはずもなく、しかも人間性も期待できて仕事もできる先輩であるから、その先輩が彼らの良き先生になろうとするのは当然の帰結であり、またその役目にその先輩ほどの適任者はいないのは当然で、後は私ごときがこざかしい知恵を使うまでもなくその先輩が彼らを成長させてくれるのは確実で彼の最大の弱点を労せずカバーしてくるのは確実で、実は切り札は特定の選択した他人任せだったりします
さて再び彼らの客観性の欠如による社会上の不利益についての考察に移行します。
客観性が低いことは円滑な人間関係の構築に障害となるのは先述した通りですが、それは新人教育のような場面でも教育係と円滑な関係がきづけなくて学習効率が低下してしまったり、それ以前に社内の良好な人間関係がきづけないのでそれのみでダメレッテルを貼られてしまい、組織から疎外されてしまうなどの挫折の原因が存在するようでした。
そして実務能力が総じて低いと見なされるのは、客観性に難があるため実務能力のようなその時々で変化し、かつ模範解答が存在しない問題解決能力が要求される事象については実力にふさわしい成果をあげる事が難しいからと考えられます。
もう少し分かりやすい具体的な例をあげると、任意の波を波動関数に近似してxの一定区間で微分した結果の算術平均を求める問題、かなり専門的なアリスマティック・アベレージ・ラフネスのパラメーターのひとつであるRaを求めるのは例えそれ自体の知識が無くても、そのグループに分類される子はかなり難しい内容であるにも関わらず高等数学教育で習得した公式や理論を駆使して正解を導く事ができる子は少なくありません。
つまり頭は良いのです。
にも拘わらず実務能力のような自分で数学の公式、理論に該当する問題解決に当たって必要なアプローチと方法を自分で考えださなければならないような抽象的事象を伴う問題については、その客観性の欠如ゆえに苦手としていて、実力を発揮するのを難しくしているようです。
そして客観性が低いために何故自分が社会で活躍できなかったかの理由がわからず、多くの場合彼らは自分が社会で活躍するに当たって必要な能力やスキルが無いのだろうという自分を責めるような間違った認識を抱く子が多いのに気づきました。
私は自分は能力が低いから会社で活躍できなかったと書き込む子に、そりゃ能力が低いんじゃなくて実力が発揮できなかっただけだろとわざとぶっきらぼうな物言いで真実を告げると彼らは一様にほっとして私の提示した真実をたやすく受け入れてくれました。
曰く、目からうろこが落ちた気分ですのレスのレスを付ける子までいたくらい、彼らに取って受け入れやすい真実だったようです。
もちろんその真実が彼らの心を救済するものであるのが理由のひとつでしょう。
結論として、その真実が今後自分は社会的に活躍するのが永久に無理ではないだろうかという彼ら共通の事実無根の恐怖から解放してくれる魔法の言葉だったからが最大の理由に他ならなかったから彼らは喜んでその真実を受け入れてくれたのだと推定されます。
最後に、彼らが社会的に自立したいと思うように後押しして、且つできるだけ少ないチャレンジで成功しやすいように、会社で新人の時に有用な情報を単純化して列挙して、彼らの挑戦の一助となるように様々な些末な事を書き込みしました。
結果として彼らの多くを社会的立ち直りに導く事ができました。
無論、私の力など微々たるもので彼ら自身の変わらなければならないという前向きな気持ちと、彼らの努力こそがその原動力であって、私は先述のような社会経験がある程度ある方なら誰でも書けるような説教と救済のレスを都度書き込んだにすぎません。
結果論ですが彼らの誤った自分への誤解をといてあげてちょっと励ましただけで彼らの多くが自身の意思と努力によって彼ら自身が満足できる社会的自立もしくは社会的復帰の再挑戦に挑んでくれた事に少々驚いたりもしました。
別に、私がスレッドに書き込んだのは大した事ではなく社会に出て働いた経験がある程度ある方ならば、誰でも書けるような当たり前で簡単な事にすぎません。
もちろん、彼らに反発されないように彼らを一人前の大人として扱い、また混乱しないように物事を単純化して書き込んで彼らが受け入れやすいように工夫して書き込みましたが、まさかこの程度の簡単な説教の書き込みで、顔も見たことの無いおっさんの言葉を信じて頑張ってくれるとは正直思っていなかったからです。
しかし、このことはある意味深刻な問題をはらんでいます。
つまり彼らの周囲の大人、両親、兄弟、先輩、先生は誰一人こんな当たり前の事を彼らの周囲に限って言えば、一度もアドバイスしたり励ましたりしていないという事実が浮き上がってくるからです。
もっと歯に絹きせぬ言い方をすれば彼の周囲にはひとりとしてまともな大人が存在しなかったと言えるでしょう。
どうして?そんな事になったのか原因を私なりに考察してみたのですが、自分自身さえ納得できるような答えを導き出す事はできませんでした。
かって人は会社に入って半人前、新人を一人前に育てるのは会社と彼の周囲の上司、先輩の責任という無言のコンセンサスとなって社会を覆っている時代がありました。
しかし、効率主義がはびこる現在では新人教育に十分な時間を割くことすら困難です。
会社が社員を育てるという思想は神話化してどこにも無くなってしまい当時社員は家族という定義が、現在至って社員は消耗部品という情けない思想に取って変わられた現実が存在します。
また男子に限れば、もの事を教えるのに暴力、いわゆる体罰がある程度必要になるのは幼児だけでなく新社会人の場合でも多少必要となるのは残念ながら真実です。
自分なりの価値観ができあがっている人間に、しかも甘えられる環境に20年以上も浸って築いた新社会人の自己中心的なご都合主義の価値観を根底からくつがえすには、個人差はあるものの問答無用の体罰が教育時間の短縮、およびその人物の価値観の革新をするために必要であるのは厳然たる事実です。
実際、バブル世代ではるか昔に新社会人になった自分を一人前に鍛え上げてくれたのは時々の上司と周囲の先輩諸兄でした。
私の育成のために彼らはすくなからず暴力を使いました。
実際いい大人の価値観を覆すには有無を言わさぬ体罰が非常に有効な手段であることは同じ世代の方であれば納得して頂けると思います。
私が中間管理職となった時も技術的な教育ではいざしらず、人間的な教育では必要最低限の体罰は使いました。
もっとも、私は暴力は嫌いだったので、体罰と言っても業務をするに当たって緊急を要するからと言うとってつけた理由などで1階から3階まで駆け上がらせたりの、どちらかというと中学の部活動の体罰に近いノリでしたが・・・
やがて、数社を渡り歩きキャリアとスキルの上昇によって評価と地位が上がって社長直属のNo.2に抜擢された時には部下が1000人超えたこともありました。
このポジションでは全員をマネジメントすることなど不可能ですから役職者に部下の育成は丸投げ状態でしたが、自分の育成方針は役職者に伝えました。
特に体罰に関してはどこまでやっていいかの線引きを明確化するなどの方法で自分の教育方針を周知することを心がけました。
しかし、現在、当人の育成のためでも体罰を加えようものなら傷害罪とパワーハラスメントで訴えられるのは当たり前の社会に変質してしまいました。
こうして、新人教育の著しい短時間化と育成に体罰という手段が取れなくなることで、皮肉な事に彼らのような会社内難民をを大量生産してしまう社会の現状があるのです。
無論私は体罰を称揚するつもりはありませんし、体罰無しで同じ育成ができるのならそちらの方がより素晴らしいと思います。
また、この場合体罰は十分手加減されていることは当然ですし、さまざまな配慮が必要な事は言うまでもありません。
私の受けた体罰は明確に私のため、私の育成のためという理由が明確でしたし、多くの場合上司は本当に怒っているのでは無く怒ったふりをしているのが当時の私でさえなんとなくわかりました。
しかし、最近の会社における体罰は激減したものの、それは私が受けた教育のための体罰では無く、いじめについて考察したのと同じ理由に起因していると感じさせるものがほとんどです。
マスメディアの色眼鏡のかかった情報ですからその感じ方は、事実と異なるかもしれません。
しかし、私が知る範囲では自分の様々な不満を部下で弱者である被害者でうさをはらしているとしか思えない事件があまりにも多いのに暗澹たる気持ちになってしまいます。
誤解の無いよう言っておきますが今偉そうに彼らを語っている私も新入社員の頃はかれらと大同小異でした。
私に取って幸いだったのは時代が会社組織が新人を育てるのは当然という無言のコンセンサスが社会全体に広まっていたために、教育受ける我々だけなく教育者にも様々な便宜が図られる幸せな時代に新人となり、自分の力だけでなく周囲の大きな助けと導きによって一人前に鍛え上げてもらったことを申し上げておきます。
話が脱線しました。
そうして社会復帰を目指してくれた子達のことに話を戻します。
ありがたい事に彼らの中には未だに私なんかに感謝して時々MLしてくれる子もいます。
もちろん、挑戦した子が全員成功したかというと、残念ながらそうではない子も存在します。
しかし、私がスレッドに書き込んだ『失敗する事は恥ずかしい事じゃないし、なぜそうなったのか原因を自分で考えて何度でも再挑戦すればいいだけのこと、自分の命があって且つ諦めなさえしなければ失敗したことにはならないから、満足いくまで再挑戦して欲しい』という私の単純化した価値観は彼らのシンパシイを刺激してくれたようで共鳴してくれる子も多く、そうやって回り道しながらも立派に社会復帰を果たした子が数多く存在したのは紛れもない事実です。
今日は、日本人の排他性の変遷について考察しようと思いますと書きながら関連事項の考察に時間を取られてしまいゴールははるか地平線のかなたですw
残念ながら時間的制約にひっかかってしまったので、勝手ながら今回の考察はここまでにさせて頂いて後日完結編をお届けしようと思います。
次回も読んで下さいね~♪
『貴方の前途に希望が満ち溢れますように~♪』
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