ぢえかすブログ

       

茗荷村訪問記2

2008-08-30 01:34:15 | 日記
前回の続きです。

25日、訪問初日の晩は、
茗荷村の発祥地であり、
中心地である三艸園?内の、
研究所棟に宿泊させてもらいました。

翌朝、食事は食堂で7時半までにセルフで、とのことでしたので、
6時に起きて、「半頃に行こうかなぁ・・・」と思ってゆっくりしていると、
早速、昨日知り合ったKさんと、Hさんが迎えに来てくれました。
なんか、こういうのってうれしいですよね。

この日は、午前中に茗荷村の前代表である高城氏にお会いし、
色々とお話を伺いました。
精神的な内容で、かなり深いお話でした。
午後からは、現代表の仲本氏とお話をさせていただき、
その後、何ヵ所かの施設や作業場、畑などを見せていただきました。
僕の場合、福祉関係の仕事をしているわけでもなく、
茗荷村に来た目的も漠然としていて、
自分の意識を変えられればいいなぁとか、
子供達と遊びたいなどという、
言ってみれば、他愛もない理由で来たわけですが、
そんな僕に対して両氏ともに、
真摯に接してくださり、
そして真剣にお話くださり、
とてもありがたく、
同時に申し訳なくも感じた次第です。

さて、この日の晩は急遽、
前田さんという方の家に泊まらせていただくことになりました。
このお宅は、前回申し上げたNHKの「ラストメッセージ」でも取上げられていた
茗荷村を"実践"されている家庭の一つです。
家族構成は、前田さん夫妻と、障害者の方が4名。
それに里子の子供達が5名の計11名で、
当日は別の家の子供達2名が、泊り掛けで訪れていました。

このように、他の家族の子供をあずかることはよくあることで、
そうした、相互の"助け合い"の体制があるからこそ、
どの家庭でも里親になることができるようです。
僕も以前より里親に関心があり、
この日の晩の、前田さん夫妻との晩酌の席では、
色々と里親についてのお話を伺うことが出来、
とても参考になりました。

勿論、この日も子供達とは遊びまくりました。

さて、翌27日の最終日は、
朝一でラジオ体操に行き、
朝食の後、午前中は子供達と遊んだり、
前田さんと暮らす、障害を持った方の作業場を拝見したり、
前田さんの奥さんの歌を聴かせていただきました。
と申しますのも、前田さんの奥さんは、
"一応"趣味で歌をつくり、歌い、そしてCDまで制作し、
さらに、CDジャケットの絵まで描いているのです。
歌声は、プロ並みとまではいきませんが、(←m(._.)m ゴメンなさい)
いわゆる癒し系で、とても心地良いものです。
歌詞は、身近な出来事から、家族のことや、社会問題まで、
前田さんが日々感じたことを綴っており、
タイトルの「暮らしの中のハーモニー」がピッタリです。
ご主人のことを歌った「うちのお父さんドジなのよ」は、
結構ウケます!でも、愛を感じますね。
それと、娘さんも一緒に歌っている曲があるのですが、
上手だしカワイ~ィです。

さて、午後は前田さんのご主人が働く「共同作業所和楽寮」に伺いました。
前田さんは、障害者の方に木工作業の指導を行っているのですが、
僕もその木工を少し手伝わせていただきました。

本当はこの日の3時頃に帰る予定だったのですが、
とても心地がよいのでダラダラと長居をしてしまいまして、
結局、前田家で夕食までいただいて帰路につきました。

いや~、でも、楽しい3日間でしたね。
それに、色々と勉強になりました。
前田さん夫妻の優しさ、温かさに触れることが出来たことも、
僕にとっては、とても素晴らしい経験でした。
また、ぜひ伺いたいなぁ~!
皆さん、本当にありがとうございましたm(._.)m

写真は前田家ですが、この時はご主人がご不在でした。
前田さんのお父さん、スミマセン!

★今日の一曲★
本当はね / 前田のぶえ

♪上述の前田さんの歌です。
里子の気持ちを歌ったもので、
二度と捨てられないように、
愛される子になろうと、
自分を押し殺し懸命に努力する健気さと、
その子らを包み込む前田さんの優しさが、
伝わる歌です。♪
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茗荷村訪問記1

2008-08-29 00:14:42 | 日記
去る8月25日から27日にかけて
滋賀県にある茗荷村というところに行ってきました。
村といっても、一ヶ所に集って集団で暮らすのではなく、
"茗荷村の精神"を持った人達が、
東近江市とその周辺にちらばり(意図的ではなく自然発生的に)、
それぞれの地域に溶け込みながら、
家族単位で生活を送っています。
その中には障害(とくに知的障害)を持った人や、
遺児や、育児放棄、虐待を受けた子どもなどが共に暮らしており、
家族といっても、
血のつながりがある人も、
ない人も家族同様に同じ屋根の下で生活を共にしているのです。

その、茗荷村の精神とは、
茗荷村の村是に簡潔に表わされています。

「賢愚和楽」
 老若男女、強弱、貧富など、みんなそれぞれに"差"はあるが、
 たったひとつのかけがえのない「命」を持っている点では何の別もない。
 したがってみんな仲良く"和"して"楽しく"暮らしていけるように努力すること。

「自然随順」
 自然を汚したり、壊したりしないで、衣食住ともに、
 自然にしたがって生活して行こうと努力すること。

「物心自立」
 自分のことはなるべく自分でやろうという、
 心の自立と物の自立を目指すこと。

「後継養成」
 村づくりは幾世代にもわたることなので、
 次代を担う若者の養成に努力すること。

そもそも茗荷村は、
日本における知的障害児(者)教育の先駆者である故田村一二氏の思想から生まれました。
田村氏は、長年の知的障害児教育、といいますか知的障害者との生活の中から、
理想の福祉、理想の社会とはどうあるべきかを感得します。
その考えを1971年に「茗荷村見聞記」という小説に書き表わし、
さらに、その小説の映画化がきっかけとなり、
その考えに賛同した人々の手によって1982年に茗荷村が誕生したのです。

当初は、三重県との県境近くの山奥の小さな廃村を引継ぎスタートしました。
それが、現在は前述の通り周辺地域に広がり、溶け込んでいるのです。
発祥地は、現在も寮や牛舎、研究所のある中心地となっています。

村民のおもな仕事は、農業、酪農畜産のほか、
授産施設では木工や、パンづくり、機械部品の製造作業なども行っています。

茗荷村は福祉の世界では、他に例のないスタイルであり、
一つの成功例として有名なようです。
詳しくは、ネットで調べてみてください(←超無責任!)

http://www.biocity.co.jp/04-c_no.26/no.26-003myouga.htm
http://www.ybts.net/2contents/index3.html

前置きが長すぎましたね。

さて、今回、僕が茗荷村を訪ねてみたいと思った理由は大きく二つありました。
一つは、僕の心の片隅に残る差別意識をどうしたら無くせるか、
その答えが茗荷村にあるのではないか、そう思ったからです。
僕の差別意識についてはここでは特別述べませんが、
たぶん、ブログを読んでいただけたらわかると思います。
それともう一つの理由は、純粋に子供達と遊びたかったからです。
というのも、茗荷村を知ったのは、
NHKで2007年3月に放送された「ラストメッセージ 第6集 この子らを世の光に」という番組で、
茗荷村が取上げられたからなのですが、
その番組の中で、茗荷村を訪れたNHKのアナウンサー(国井雅比古さん)が、
子供達と鬼ごっこをしているシーンがありました。
それを見て、「僕も鬼ごっこがしたい!」と思ったからなのです。

茗荷村訪問の初日、その目的は達成しました。
始めに案内された工房和楽で、
同じ敷地内に住む子供達と遊んぶことができたからです。
鬼ごっこにドッジボール・・・。
汗びっしょりになりながら、猛烈に遊びました。楽しかった!!

ところで、この工房和楽を見学させてもらっていた時、
そこで働く数名の障害を持った方とお話をしました。
その一人のKさんという男性の方は、施設内の色々なことを親切に教えてくれ、
また、仕事を終えてから、僕と子供達と一緒に遊び、
さらには、僕の宿泊場所とKさんの暮らす寮が近かったため、
夕食も同じ場所で一緒にいただき、風呂の入り方も教えてもらいました。
他の方も、みんな親切にしてくださり、気軽に話しかけてくださり、
とても温かい気持ちになりました。

それに、ここでも、子供達と遊びました。
みんなカワイイんですよね~ホント。。。

つづく

写真はKさんと、N君。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする