会報No11掲載の『「孤島に築く」悪石島の工事記録』より一部抜粋し、電電建築の思い出としてブログに掲載
四国総支社の思い出
私は昭和62,63(1987、88)年に四国総支社建築センタ設計課長として松山に勤務し、ぎりぎりのタイミングでマイクロの仕事の触れることが出来ました。
当時の四国総支社は四国山脈にマイクロルートを構築中で、高知や愛媛の険しい山の上でいくつかの無線中継所の設計や建設工事が進んでいました。
設計課のマイクロ担当はベテランのT課長、若いSさんの二人で、N測量の協力を得ながらマイクロ道路や局舎、鉄塔の設計に取組んでいました。
私はマイクロの知識と経験は皆無だったので当時私の隣の席で施工課長的な役割を果たして頂いたN課長と社用車を運転して現場を見て回り、たくさんのことを教えて頂きました。
会計検査院の受検も対応しました。
当時の建築は小さな改修工事があるだけだったので、新築中のマイクロ工事がチェックされました。現場では道路建設時の岩判定について細かく質問されました。
検査官からの質問で覚えていることが2つあります。
「なぜ山の上に高い鉄塔を建てるのですか?山頂同士の無線通信ならお互いにもっと低い架台で良いのではないですか?」という質問がありました。検査官は私の実力を試そうとしたのだと思います。
もう一つの質問が「無線中継所の敷地は広すぎないですか? 局舎の周囲の空地は造成費用がかかり無駄ではないですか?」でした。これは「空地は山火事から守る延焼防止帯の役割があり必要です」と答え、理解頂ました。私が勤務していた頃の四国では自然発火の山火事が頻発していて、無線中継所は自分の身は自分で守る必要がありました。
実際に今治、西条付近の無線中継所のすぐ近くで山火事が発生し影響を心配しましたが、空地の存在で無傷でした。経験の蓄積に基づき作り上げた電電公社の設計基準は素晴らしいと思いました。
東京支部 支部長 齋藤聰
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます