ゆったりと日記を描こう

dorucasuの意味はカモシカです。聖書に出てくる手作りの大好きな女性です。

また、冬ですか~

2016-02-16 11:10:39 | 介護について
昨日は「春一番」が吹き今日は寒気が襲ってきています・・・

それで、私は「断舎利でーす」

永く生地をストックしていたのを、取りだして簡単な洋服を作っています。




まず薄地のウールニットで隠し(まずい所)洋服です・・・





次は同じくニットでジャンパースカート





これはあまり気にいりませんでした・・・

これは着ないでしょうね~

自然死の提案

2013-04-18 12:28:54 | 介護について


私は生死について、よく考えます。

 信仰の世界では決して怖がり避けるという事はないのですが・・
私は祖父母、父母、舅姑、妹などを送っている。
最初に御爺ちゃんが逝った時「アア 人は本当に入れ物なのだ!」と思いました。
まるで、お人形の様になってしまったからです。優しいおじいちゃんでしたが「こんなに綺麗だったの?」と思いましたね~
また、夫の継母さんはとても怖い人でしたが・・死に顔はまるで優しい仁徳のある顔になってしまいました。(失礼!!)

 怖い父は可愛いオジーちゃんに、母は美人でしたね~(残念なことに私は似ていないのです・・・)
 そして、妹は苦しんだ顔でした。最後は毎日癌の治療でしたから・・・

そして、舅と姑は自然死でした。
舅は86歳まで家に五年間動けなくなり、自分らしく生きていました。最後には腸閉塞と肺炎を起こし、入院し、三か月後穏やかに逝きました。

 医師は云いました。「こんなきれいな死に方の方は初めて見ました」と・・
また、姑も家で10年寝たきりとなり、87歳で逝きました。心筋梗塞かナ?
医師は「調べれば分かりますが必要はないでしょう」と云い調べませんでした。
姑はお昼に、「○○ちゃん、長いことありがとうね」と云ってその晩に逝きました。

 私は別に何か考えがあってそうした訳ではありません。
ふたりが願った通りにしただけなのですね。

この動画を見て「アァ これが自然死なのか・・」と思い子供たちには「私たちにあまり手を尽くしてくれるなよ」と云いたいですね。



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私の介護人生!

2013-03-30 08:19:28 | 介護について
  

私の人生の中で一番多かったのは介護です。

まず、嫁いですぐに出てきたのは姑です。その時は介護はしませんでしたが、いつも彼女は病気だと云い、病院通いです・・・・

 そして30代に入り二人の子供たちにⅠ型糖尿病が発症しました。それから15年間、手に負えない病いと闘いました。仕事は辞められず(辞めたいと言えなかった!)食事時にいられないのに食事療法です。この時分が一番苦しかった!!

 上の子に合併症が出て、今の教会(特徴は癒し信仰)に導かれました。感謝!
そこで多くの癒しを体験しました。病いの子も親なる私の心の癒しも・・・

ようやく子供に対する心配からも解放されるようになりましたが・・・
  今度は舅が5年間寝付きました。
これはあまり悩みませんでした。おじーちゃんは臥せっても生活習慣が変わりません。足腰が立たなくとも自分で下の世話をしました(させたのかな?)

 おじーちゃんが逝ったあと、すぐに姑の足腰が立たなくなりました。骨粗鬆症です。寝ていても骨折するのです。それで寝たきり(家で・・)となり10年間世話をしました。

これは一年間苦しみましたね。彼女に対して云いたいことがたくさんあったからです。
まず生活態度がワルイ!  朝は起きないで夜中じゅう本を読んでいる・・・
故に体内時計が狂いぱなしなのです。これは嫁いだ時からズーッとでした。

夕方になると外に出て井戸端会議です・・・で、「風邪をひいた」と云い、寝る・・・

クーッ  私はいつもイライラしましたね~
でも、諦めて感情を殺して最少限度の世話をしました。
しかし、10年たつと私の限界が来ました。娘たちにグチを云いました。彼女たちは責めもせずに聞いてくれました。感謝!!

けれど、それでもどうにもできずに祈りました。「主よ、おばーちゃんはもう信じています。どうぞ迎えに来て下さい」と・・すると、しばらくしておばーちゃんは「○○ちゃん、長い間ありがとう」とあいさつをしたその夜に逝きました。フーッ

 次は夫です。去年は半年の間動けなくなりました。
ここで書きましたが、私はあまり苦しみませんでした「ほう 今度は夫ですか・・」と
デモ、今思うのはおばーちゃんの経験で『相手を変えようと思ってもそれは変わらない・・自分でさえ変えることが出来ないのだから』と冷静に見ている私がいました。

先のことは考えません。夫の事どころか自分がどうなるか分からない歳になりましたから

デモ、今思うのは私の様な我の強い女がこうでもしなければ今の私にはなれなかったな~と・・

神様はよくして下さいました。すべて済んだことは感謝に思えるのです。

病院へ・・・

2013-01-11 17:02:02 | 介護について


今日は夫の通院の付き添いに行ってきました。

今朝は少し雪があり・・彼は自信がなかったのでしょうか?
彼の自動車で行ってきましたから、私は携帯で写真を寫し、動画を作りました。
何しろ、どんな時も楽しむdoruですから・・・

行きは吹雪となりゆっくりと参りました。
でも帰りは晴れました。

リゥマチ内科では色々な年齢の方がおられます。若い女性、壮年期の男性、そして高齢の男女です。
高齢の夫婦はとても仲良しに見えますね~♪
わたし達もそう見えるのでしょう!!
私は夫に聞きました。「わたし達は老夫婦でしょうか」彼は「そうだな 若夫婦ではないから・・」と・・・アッタリマエだのクラッカー(古ッ)

去年、彼が入院していたときに金沢まで車で行くのはタイヘンでした。本当に冬道は苦手です。
今回は仲よく行ってきました~

救急車を呼びました。!!

2012-12-18 10:32:10 | 介護について
 
先日、末の息子が二十年ぶりにひどい低血糖症状を起こし、手に負えなくなり救急車を呼びました。ちょうど私は風呂に入っており・・娘が気づき知らせてくれました。

途端に私は彼の子供のころに戻り・・冷静な母親になり対応しました。
でも、違うのは『子供たちにも対応させよう!』という思いが起きてきたことです。

で、私は「助けてね!」と云い、長男と次女に指図をしました。長男には主治医の番号を調べさせ、次女には電話をかけさせ・・私は昏睡状態になっている息子に糖分を取らせようとしながら主治医と話しました。先生に断られ・・救急車を呼びました。子供たちは私の行動をじっと見つめています。

 しばらくすると糖分をとっていないのに少し昏睡が覚めてきました。
私は、彼らに「きっと、アドレナリンが出て、気が付くから、大丈夫よ!」と言っていましたから、そのとうりになったのです『良かった!!』と思いました。

 でも、二男は気づきはしたもののジュースを飲むことも出来ません。
「では、救急車を呼んでちょうだい」というと次女は早速電話をしました。

この後、病院に運ばれ、検査と同時に治療をしてもらいました。すべての検査で、異常は認められず、ホットしました。

この対応は八時過ぎから十時過ぎまでかかりました。
救急の処理で一万円、次の日に主治医の面談で五千円かかりました。(本人が払いますが)

私は病院で待っている間にガタガタと震えだしました。そして涙が出てきます。
 私は泣きながら『アア 主が共におられるのでこうしてやってこられたな~』と思いました。
娘は帰宅のために来てくれ、少し話しました。
「あなたたちがいてくれて助かったわ~」というと娘も「子供の時は本当に分からなかった!」と云います。

 二男は、一歳半で、一型糖尿病になり、一日4回、インシュリンの自己注射をうっています。一生直らない病気といわれて、とてもやりきれない気持ちでした。

長女も十歳ですでになっていましたから、目の前が真っ暗になりヘタヘタと座り込んでしまうという体験をしました。信仰を持って七年目のことです。

それで、聖書のヨブ記を読みました。「何故、私たちにこんなことが起きるのだ!」と・・・
で、罪があるためではないと分かりました。いわゆる因果応報ではないのです。
信仰の友に「何か罪を犯しているのでは?」と言われましたが、私はそうは思いませんでした。

生まれつき足の立たない人が癒されたとき、弟子たちが「この人は、この人、この人の親が罪を犯したから、足が立たないのでは・・」と言ったときに主は言われました。
「そうではない、神の栄光が現れるためです」と・・・

 今では、子供たちも大きくなり長女と二男は自分でコントロールをしています。
高齢となった私はどんどんと弱くなってきています。
ですから、子供たちにはきょうだいとしてできることをして欲しいものだと思っています。

二男は今、仕事もなく”規則正しい生活”をしなくなっていましたから、こんなことがあって良かったと思っています。
人はタイヘンなことに出会い目が覚めるということがありますから
息子も彼なりに考える事でしょう。もう三十五歳になっていますから私は何も云いません!!
親に何か言われると、イヤな思いをするに違いありません。

「主よ、どうか○○に良い職業をお与えください」と祈るだけです。

御子原へ行ってきました

2012-10-25 12:58:14 | 介護について
御子原へ行ってきました



とても天気がよく、地域のお友達と一緒にドライブをしてきました。
彼女は車の運転はできませんので、とても喜んで下さいました。

 御子原は同じ町ですが・・富山県へ行く道すがらにある少し高い土地です。

小さなダムもあります・・・
御子の里は、昔は御子原小学校で、廃校のあと産地直産のお店になりました。

手作りの品物も沢山売られています。

この谷間の村には神音(カノン)という素敵なカフェがあるのですが・・・
私は運転の自信がなく、また方向音痴でもあり行けません。

御子の里の一部にかの店の紹介もされています。
フォトチャンネルで見て下さい>

描きました!!

2012-10-24 08:34:55 | 介護について


今度は百日草を描きました。
続けて色紙に描きましたから、気持ちが楽でした・・


  サァ  次は何を描こうかな?
静物も良いかな?とあれやこれやと考えています。


先日は夫と病院へ行ってきました。
あんなにイヤだと言っていたのに急に「整形へ行く・・」と申します。

30代の先生たちを悩ませながら…ホントにモウ!!
「一年に一度でいいので」と、先生は喜んで下さいました。
こんな我儘な患者はいるのでしょうか。

夫は介護3から要支援1になりました。介護人にとってはとても嬉しいでーす!!
このままだと病院も一人で行くと言っています。感謝、感謝!!

月一の通院です

2012-10-05 13:39:45 | 介護について


今日は、月一の夫の通院でした。
相変わらず、彼はお医者さんのいう事に反発していう事を聞きません。
私は、諦めて可愛いお医者さんと軽口をきいています。

他の医師から頼まれて「診療を受けに行ってください」と・・
彼は「いやだ・・」と、私は「先生、いいですから放って置きましよう。さっさと逝ってもイイですから・・」と云いますと、彼女は言葉もなく笑っています。
横についている研修医も仕方なく笑っています。私はにこやかに「ホントにね~」というだけ・・
きっと彼はいかないと思います。

そのあと、可愛いお医者さんはいろいろとご自分のことを話したり・・今日はとても楽しい通院となりました。


追記:この頃は五行歌に挑戦しています。


今日もまた
夫の病院
医師と共に軽口を
夫は何も言えずに
これがいい

Oさんの介護生活

2012-09-18 14:23:31 | 介護について


絵画教室の仲間のOさんの家に行ってきました。
彼女は四年八か月の間、ご主人の介護をなさいましたが、一週間前に亡くされたのです。

 しばらくの間、彼女の介護の話を仲間三人で聞きました。
ご主人は脳腫瘍のため手術をし、そのあと介護をなさいましたが、される人はとてもユーモアの分かる方で、Оさんは「とても介護は楽でした・・」と言われます。

動けなくとも口は聞けたし楽しく生活できたといいます。

私は彼女の話を聞きながら『アア、彼女は自分を持っておられるから・・・』と思いました。
日本画を習いに来ており、又退職してから人形作りを十数年しておられます。

教職をしておられましたが、ちなみにご主人も同じ職でした。
とても落ち着いた方で、絵の方もとても優しい絵です・・・
そして、家の中を見せて貰いました。介護用の部屋は姑さんの部屋として作られたそうです。

  

・・

そして、90坪の家の部屋はみな南向きだといいます。夏は涼しく冬は暖かいとか・・・
この部屋割りは彼女が考えたそうです。
とても田舎の地区で彼女は加賀からお嫁に来たのですが、あまり嫌がっておられません。

次は、彼女の作った人形です。

  

もっと沢山写したのですが、携帯のためボケましたのでUPできません。
又、遊びに行くと約束しましたのでその時にはデジカメで写しますね。




どうにかなるもんだ!!

2012-09-13 03:09:27 | 介護について



なんだか眠れなくて更新しています。
ムービーメーカーで動画を作りました。
昨日はケアマネさんが来られてこれからの話をしました。

 夫は嘘のように元気になりました。きっと介護1になるのではという事でした。
私は人生の中で色々なことに出会いました。ある意味大変なことばかりでしたが・・・その中で守られ、イヤなことのあとで感謝なことが来たのです。

ですから、夫が動けなくなっても「きっとどうにかなるだろう」と思ってきたのです。

眠れないので、本を読みました。「賛美の力」という本です。
”すべてのことを感謝していったら愛の神は良くして下さる”という趣旨のことが書かれてあります。1970年代に出たアメリカの牧師が著者です。

アア 昔からこのことをしてきたな~と思います。

子供たちが難病になり、治らない病だと知った時・・・舅、姑が続いて寝たきりになった時・・・「信じよう!!」と泣きながら決断したものです。
今は夫が病となってもあまり大変だと思えません。以前と比べれば楽だとしか思えないのです。自分自身も弱くなりましたから、ケンカもしませんしね~(笑)

さあ 深呼吸して・・

2012-08-17 20:07:40 | 介護について
今日は夫の病院に付き添いをしました。
現在は痛みどめが切れて、すごく機嫌が悪いのです。

無理もないのですが・・・怒鳴られると私もムカッとします。
それと耳が遠いこともあり、私の云っていることが聞こえなくてイライラするようです。

 金沢市の病院まで、一時間はかかりますし、それに車の量はうちの町の10倍はありますから・・私は緊張してガチガチになっているのです。

 それで、考えました。「アア、深呼吸しよう・・」で、フーッと長く息を吐き、吸いと運転中に続けました。「こうすれば落ち着くのでやりますね」と夫にも云いました。彼はどう思っているのか静かになってしまいました。いつもは私の運転のまずさに怒鳴りつけていたのにね(エヘヘ)

 待合の時間に先日の本を読みました。
とても感動して涙が止まりません。ちょっと病院では読めませんね~

朝早く出て三時には家に帰り、皆さんのブログを読んでいて・・こんな動画を見つけましたよ。深呼吸ともいえるかな??
ダイエットになるとのことです・・・




再度、大学病院へ

2012-07-21 08:19:18 | 介護について


昨日、二か月ぶりに大学病院に行ってきました。
夫は痛みに耐えかねて再度リウマチ内科に行くことにしたのです。
近くの医師に勧められたこともあり・・・「リウマチの薬はこちらでは出したくありません。金大病院へ行ってください」と言われ、現代の医療がどんなに進んだか説明なさいました。

 先生に言われてやっと信じたようです。(私も云っていたのですが!)
マア、仕様がないですね。妻のいう事は信じられないのでしょう。

そして、その診断結果は「薬で抑えられるでしょう」という事でした。
ホッとしました。これでまた介護できますね。
「リウマチは治った」と言い続け薬は飲んでいなかったのですから

医師たちの話の持っていき方を見て私もとても学びました。

これからの介護の中でもっと学ぶことでしょう。

○  まず、彼のいう事を最後まで聞く
○  怒鳴っても、それに引きずられない
○  一番の問題は私が理屈をいう事なのだ

という事でこの歳になりやっと皆さんのしておられる妻がやれそうです。

リウマチって・・

2012-06-30 10:08:42 | 介護について


 リウマチは、タイヘンな病気です。
ようやく足が少しよくなってきたら・・今度は手首が痛くなり出しました。
先日病院に行き、検査をしましたら「炎症がひどくなっています。」と言われ、夫は「痛みを(私が)を分ってくれない・・」と医師に訴えました。私はリウマチではないので分からないのです。普通の肩こりぐらいなら・・

それで、リウマチの薬を再度飲むことにしました。彼は医師がなんと言おうと「リウマチは治った」と言い張っていましたが、痛くなるとさすがに諦めたようです。

医師はなんといわれてもニコヤカに彼の言い分を聞くのです。私は『アア、このようにすればいいのですね』と思いました。
 彼が私をどのように思い、言おうとも優しく対応するには・・・と、いろいろと学んでおります。(笑)

  

やっと梅を、酢と蜂蜜でつけました。

今年は梅の花がつくときに風が強く花が散り、実のつきようが少なかったのです。
 でもそのために、実がとても大きくなりました。

一か月もすれば、ジュースとオヤツができます。ワクワク!!


ズッキーニでお料理!!

2012-06-22 06:40:12 | 介護について


キママおばさんのところのアジサイです。沢山の種類があるのですね~
驚きました。又実のなる木もいっぱいです。畑も見せていただきました。



今年初めてのズッキーニ収穫しました。

で、鳥の胸肉と炒めました。

料理苦手な私は、これ一本でらくらくお料理「献立いろいろみそ」で味付けでーす。
そして、家にある野菜でサラダを作ります。後は味噌汁ね。

夫は何しろ超甘党で・・・でも、彼の好きな甘い野菜、果物でせめております(笑)
しかしズッキーニは食べてくれませんでした。

毎朝カナ・・・リンゴと人参をジュースにして二人で飲んでいます。

副作用に苦しむ夫に少しでも良いようにと始めました。
サテサテどうでしょうか。

能登半島へ・・・

2012-06-14 17:07:22 | 介護について


三日前から、夫は少しずつ歩き出しました。

で、彼は歩けるときにドライブに行きたいと言いだしました。「千枚田・・」という思いがするからと、能登半島へ出かけました。
行きと帰りに彼は運転をしました。途中は私が、でもやはり彼は私の運転に怒鳴りつけます。

 その道中は50年前、能登半島でバスの車掌をしていたのです。
起きたことなど話してくれました。

20代の頃ですから・・・懐かしそうでしたヨ!!
本当に元気な時は彼の望みをかなえてやりたいものです。