ゆったりと日記を描こう

dorucasuの意味はカモシカです。聖書に出てくる手作りの大好きな女性です。

福島「流浪の教会」の記事です

2012-08-31 22:42:38 | 日記


フェースブックで「流浪の教会の」テレビ(2012.4)番組を見ました。実際に信徒の方々の様子を見て「感謝している」ことがよく分りました。
避難生活報告 その55

動じる人、動じない人


旅ガラスのような浮遊の生活に、いつまでたっても慣れることはないにしても、さすがに御年配の方々は動じる様子もなく、年季が入ってつくづく違うものだと感心しています。旅を繰り返しながら道々楽しみ、まるで震災を手玉に取るかのように、最大限享受しているようにも見えます。少々のことでは揺るがず、伊達にこれまでの人生で幾多の荒波を乗り切っては来たのではないとばかりに、たくましくもあり、ちょっとやそっとでは真似できそうにない境地に見えて、脱帽です。



もしかして、彼らは教会の宝でしょうか。



それにしても、全国に散りじりになってしまった教会員を思うとき、心の中を言いようもない悲しみが覆います。内なる涙は乾く間もなく、どうやらそのままぬかるみとなって、足場を危うくしています。幾種類もの悲しみが波状となって心に押し寄せ、震災がいかに一筋縄でいかない手ごわいものかを、思い知らされています。

震災がこれほどに尾を引く厄介なものであったとは。いい加減勘弁し解放して欲しいと願うのは、私ひとりでしょうか。

(4月14日土曜日大阪行き、新幹線で)

福島第一聖書バプテスト教会の記事引用させてもらいました。


これからも購読しようと思います。

夏のワンピースです

2012-08-31 12:56:12 | 手作り


正絹の着物でワンピースを作りました。

ゆったりと作りましたから、とても涼しくて着やすいです。
チョッと”おばさん”ですが・・・



この画像だとどうでしょう。やっぱり同じですか。

三十cmの幅のものを四枚つないでいるのですから無理もないですね。
でも薄い生地のものはゆったりと作らねばと思っています。
落ち感もほどほどありますから、落ち着いて着ていられます。

もう少し暑いでしょうから思い切って作りました。
もう一枚考えているものがありますが、仕上がったら、UPしますね。

東山魁夷と川端康成

2012-08-28 13:42:35 | アート
 

昨日は、友人Nさんと金沢へ「東山魁夷と川端康成」の展覧会へ行ってきました。久しぶりのデートでとても楽しゅうございました。


  


展覧会では写真を写すことができません。で、最初の画像は借り物です。

21世紀美術館ですが、あまり人がいなくてゆっくりと見ることができました。東山さんと川端さんのお二人の友情を読んで知りました。

 イイですね~  人生の宝は友達です・・ともに行ったNさんは付き合うようになって五年になるでしょうか。

彼女から「友達になってください」と頼まれ始まりました。
今まで、ボランテァ仲間でしたから知らないわけではありませんでした。でも彼女は言います「あなたは本音で話されるので・・・」

イヤーッそれしかできない私です。そしてひと月に一、二度会うようになりました。美術館へ行ったり、季節の花を見にいったりします。

道中、ランチなどの間にイッパイ話をします。
とても話が合うのです。価値観がとても似ていることもあり、又、教育者でしたから多くのことを教えて貰えます。

 アア、楽しかった!!

「想定外こそ想定内」

2012-08-26 22:58:34 | 教会


私は「流浪の教会」を読んでいる。
福島第一聖書バプテスト教会員五、六十人余りが3・11以来旅をするように次々と多くの教会、人達に助けられ、一人住まいの高齢者、クリスチャンの妻に引かれて家族、知り合いなどが共に逃げたのです。

 一人の信徒が「アア、皆さんと逃げよう」と思い牧師に連絡し(牧師はその時千葉に・・)不思議なほどに車(軽油の)で教会員を集め、逃げたといいます。そのあと2011年3・14に会津の教会で受け入れてもらい・・3・31から2012年 3・26まで奥多摩のキャンプ場で数十人が共に避難をしていたといいます。一つ一つ読むとビックリするばかりです。

 その間のことを牧師は記録し、本になって多くの人の知ることとなりました。又、ネット(F・B)でも発信されましたから世界でも知られるようになり多くの人の援助が届いたという事です。

又、離れて避難している信徒には教会のホームページで、ビデオで礼拝を届けたのだそうです。
 この教会は今のネットをうまく使っていました。
携帯で、PCでと信徒をつないでいたのです。

今読み進むと驚きと神の愛としか言えない不思議続きだったことが分かります。注:ホームページで先生の話が聞けます。


 百年前に2,700人の村にできた教会、そのあとに福島原発ができたといいます。
震災前の3・6の礼拝でなされたメッセージの中で「もし東北地方に、今回ニュージーランドで起こったような大地震が起こったとしたら、1.2ねんでは回復が難しいのではないか」と語っていたといいます。

又、震災直後に「順風よし、逆境もまたよし」という本が出版されました。震災が起きるとは思わないで用意していたのです。サブタイトルが「想定外こそ想定内」




先生は「いずれにしても今にして思えば、巨大地震直後に出版される本のタイトル選定から、何かにいざなわれていたと説明しても、おかしくない痕跡に、出会います。」と書いておられます。

 又、牧師夫人は二十年も前から教会員みんなでバスのにのって旅を続けるという不思議な夢を何度も見ていたといいます。

 神はどんな時も守り導いて下さると信じてきましたが、こんな素晴らしい体験をした多くの人たちの話を聞き、本当に感動いたしました。
現代の出エジプト記ですね・・・

仕上がりました

2012-08-24 13:58:02 | アート


ようやく仕上げました。
あまりうまくいきませんでした。

まずバックが気にいりません。いつも濃く色を入れ過ぎて失敗してしまいます。
水彩ではどうにか思うようになるのですが…スイヒ(泥絵の具)の扱い方が難しいのです。
少しの絵の具でいいのに入れ過ぎてしまいます。又、膠も入れ過ぎるのです・・・
岩絵の具になるともっと難しいのです。フーッ


 でもこれからも続けます。諦めません。うまく扱えるようになるまでは・・・

結婚生活の総括

2012-08-23 17:22:38 | 日記


この頃よく結婚生活のことを想い出していまし。
色々大変なことがありました。

アルバムと共に話しましょう。



これは、一番上は就職をして山岳部に入りました。
下は同期の友、その横は高校卒業記念に登山をしましたこれは立山かな?

この五年間は本当に楽しかったですね。
美術クラブで絵を描き、就職して一年に三回は山に登りました。




次は二十歳で結婚、最初の子と夫と共によく似た顔で笑っています。
右横は三十代です。四人の子持ちとなりました。

二十四で信仰を持ち、夫はひどく反対をしましたが・・・「何で生きてるの???]と思っていた私はイエス様に出会い、生きる意味が分かったと思いましたからどれだけ反対されても信仰を捨てることはできませんでした。
暴力で私を従わせようとしても・・・ダメですね。死んだ方がましと思う私をどうもできなかったでしょう。

又、三十代になり子供二人が二万人に1人なるという難病になりました。
遺伝ではないと言われていましたが…二人がなったという事で医師は「体質が似ているという事でしょうか」と言いました。
夫(血筋も・・)は超甘党でしたので、彼のせいだと思いました。
ですからなおのこと彼を信じられなくなりました。



でも彼の良いところは一年に一度の家族旅行です。この写真は長女が高校を卒業するときに東北旅行をしました。夫は一人で車を運転し七泊でした。楽しかったです!!
 でも長男が写っていません。カメラマンだったのでしょうね



この写真は二男が合併症???の為か十二指腸潰瘍になり登校拒否となり、家に引きこもっていたときに娘夫婦も誘い台湾旅行に行ってきました。私はエライ太ってますね(笑い)

 五十代後半になり姑を送った後、彼が意味もなく暴力をふるいました。
私は切れてしまいました。「もうダメだ!!これ以上我慢をすると、何をしでかすか分からない」と思い家を出ました。二年間娘夫婦と共に暮らしたのですが、娘はスグ父親に手紙を書いていましたから、彼はジックリと考えたようです。

一年目にわびを入れてきましたが「必要が出るまで・・」というと二年目には必要を取り揃えてきました。
わたしも娘たちと暮らすのもなかなか大変だと思いだした時だったので、婿さんが驚くほどあっさりと帰りました。

その三か月後に夫はリウマチを発症しました。彼は言います「お前が俺を捨てたからだ」と
イヤーッ自業自得でしょ!!

でもある意味私も反省いたしました。
人は生まれ育ちも違い、価値観も違います。ですからうまくやるには知恵も時間もかかります。
私は気が強く、口達者、せっかちで負けず嫌いです。最悪ですね。

それで私は夫に言いました。「あなたはタイヘンな女を妻にしてしまったわね」六十代になってやっと分かりました。彼は何も言えません。(ちょっとかわいそう・・・)

という事で今は明るく老々介護をしています・・・





長年のいじめ・・

2012-08-21 09:27:16 | 日記
先日町の祭りの相談で班の人たちの集まりがあった。

 夫が出られないので私が代わりに出た。
何か月も前からイヤな予感がしていた。40年前に会ったいじめの記憶のせいだろう・・・

個人としての行動では祭りには参加せずに家としての参加はしてきた。
この町でのクリスチャン第一号だったせいもあったのか、理解されずにイヤな思いをたくさんしたのである(時代?土地柄?)

 しかし何年も経ち皆さんにどうやら分ってもらえるようになった。
でも、一人の何でも、誰に対しても絶えずいじめに走る人がいる。

 今回その集まりで、皆の前で私がやられた・・・
その言いぐさがあまりにあほらしくて「謝れ」というので『フーン、ある意味それもあるかな』と思った私はハッキリと謝った。しかし彼女の責める言葉は止まらない・・・

 彼女は長年の間に何度も私をいじめたが気にしない私に我慢できないのだろう。
聞いている人たちは黙っている・・それしかできない。ヘタなことを言うと次は・・なのである。

謝っている私は気にせずに笑っているのだから彼女の気持ちも分かる。

でもね~  彼女はもう70代にもなっている『バッカじゃないの~』と思ってしまうのである。信仰を持ったとき夫は暴力をふるって私を止めようとしたが・・すると私はますます燃えるんです。彼も今では諦めています。
だからそんな人がどんなに苛めようとしてもダメなのです。彼女も気づけばいいのですが・・

という事で今回はいじめについて書きました。




追記:ごんぼねっこ日記で同期現象というのを知り検索してみました。
蛍が同時に光るという事です。  見えますか?

">

さあ 深呼吸して・・

2012-08-17 20:07:40 | 介護について
今日は夫の病院に付き添いをしました。
現在は痛みどめが切れて、すごく機嫌が悪いのです。

無理もないのですが・・・怒鳴られると私もムカッとします。
それと耳が遠いこともあり、私の云っていることが聞こえなくてイライラするようです。

 金沢市の病院まで、一時間はかかりますし、それに車の量はうちの町の10倍はありますから・・私は緊張してガチガチになっているのです。

 それで、考えました。「アア、深呼吸しよう・・」で、フーッと長く息を吐き、吸いと運転中に続けました。「こうすれば落ち着くのでやりますね」と夫にも云いました。彼はどう思っているのか静かになってしまいました。いつもは私の運転のまずさに怒鳴りつけていたのにね(エヘヘ)

 待合の時間に先日の本を読みました。
とても感動して涙が止まりません。ちょっと病院では読めませんね~

朝早く出て三時には家に帰り、皆さんのブログを読んでいて・・こんな動画を見つけましたよ。深呼吸ともいえるかな??
ダイエットになるとのことです・・・




流浪の教会

2012-08-16 11:06:06 | 日記


娘が聖会から戻ってきました。聖書学学院に入学して一年目です。
新しい生活をして、彼女は驚くばかりに変わりました。

 
 娘は(良く言えば)自由奔放な頑張り屋です。
グラフック・デザイナーの仕事をしていましたが(これからも・・・)
3・11があり三度ほど東北にボランテァに行き「学院へ行く」と言いだしました。

 私の願いでもありましたから、嬉しかったですね~
たったの三か月でここまで変わるとは、本当に私の喜びです。

 この本は,聖会に来られたメッセンジャーの書かれた本です。
彼女は宿題があるそうで、私に先に読ませてくれるそうです。

著者は東北の牧師さんです。彼女は先生の話を聞きましたので・・・
昨晩はその話を涙ぐんで話してくれました。


  

今朝は雨が降り庭も生き返っています。ムクゲが咲き出しました。

はだしのゲン

2012-08-14 08:16:28 | 日記


 今まで、このアニメのことは知ってはいたが・・見たことはなかった。
ドラマの無料動画gayao! で、フッとその気になり見た。

 そして驚いたことにとても明るいのだ。暗いだろうと思い込んで、有名だったが見る気がしなかったのである。

3・11以来、放射性物質が広島、長崎の原爆よりも多く放出されたと知り・・・
イヤーな気持ちがとれなかった。
しかし、67年たった今でも生きている人たちもいることが不思議だった。
勿論、いろんな後遺症、癌などで苦しんでおられるとは思うが・・・

 放射性物質が引き起こす問題は今でもよく分からないという。ただ、流れた場所に多くの問題が出ているので、無いとは決して言えないと言う。30年たつと・・・又100年、300年などと気が遠くなる話なのだ。人間はそんな大変な物質を作り出してしまったのだ。

聖書を始めて読みだした20歳代の時に思ったのは「こりゃ、タイヘンなことになるのでは・・・」と・・・それ以来、私の心の奥に時代に対して夢を持てなくなったのである。
40数年たった今、あの時に感じたことがなっていると思えるのだ。

しかし、このアニメを見て夢がないわけではないと思った。
原爆が落ちたこの日本で、日本人は負けたわけではなかった。子供たちが元気に((病があっても)生きてく限り終わりではないのだと思った。




テレビで鳴いてんのヨ!!

2012-08-10 07:40:56 | ペット


テレビの番組で猫たちを取り上げていました。

すると、エステルが野良猫が来たと錯覚をして窓の外を覗いています。

結構、長い間あっちへ行ったりこっちへ行ったりしてました。

「テレビよ・・・」と言ったってわかんないよね~




いつもフェースブックで登録したものを見ています。
今日はこれ!!  是非見て下さいね。


ハスの花を見に・・・

2012-08-08 14:42:22 | 日記




近くの(車で10分ほど)の田圃にハスの花を育てている場所へ行って見てきました。
なかなか金沢にまで行けませんから、こちらで我慢します。
どなたが作っているのかも知りませんが、小さなパーキングもあります。感謝ですね~  一人の男の方も写真を写していました。
彼は言います。「私は七尾の者ですが、いつも通っていたけれど、気が付きませんでした。綺麗ですね~」そりゃその時期でないと見れませんものね~
わたしもいつも金沢へ行くとき葉っぱの時から「見に来なくちゃ」と思っておりました。休耕田なのでしょうか。本当に有難いですね。



菩提樹

2012-08-07 11:38:50 | 音楽


菩提樹,続菩提樹のDVDを借りて見ました。
とても古い映画ですが、その中身はとても新しく感じました。

サウンドオブ・ミュージックも楽しい映画でしたが、楽しいだけではなく「何が大事なのか」という事を教えてくれる映画でした。

 大変な時代に八人の子供たちとアメリカに移りコンサートをして生活したのです。ドイツ(ナチ政権)に侵略されたオーストリアからの難民だったのです。男爵家だったとしても、何の助けもなかったのですが、彼らの自由な魂と強さに感動しました。

 3・11のことがあり、石川県でも山のふもとでは放射性物質のホット・スポットになった所に住んでいた若い夫婦が5人の子供たちのために九州に引越ししました。親御さんたちさえ彼らのしようとしていることは分からなかったと思います。私は親御さんから話しを聞き言いました。「先は見えなくとも、必ず守ってくださる方がおられる。。祈りましょう」

 何か月かたち仕事も見つかり、子供たちも元気に暮らしているという事です。娘さん夫婦は自然派の生活をしたい人たちですから、今は本当に幸せでしょう。彼らの一番大事なことは、子供たちが健康に育つことだったのですから・・

 ちなみに父親の仕事は職人です。彼の能力に合った仕事のようですよ。

嘘でもいいから口に出して感謝するのです

2012-08-06 11:32:38 | 教会
礼拝

昨日の礼拝です。同時配信で私たちも共に賛美します。
田舎で小さい群れですが・・新約聖書にある家の教会のようです


先週の週報でよい言葉を読みました。引用しますね。

1988年、当時アメリカで、レストランのオーナーのアルコール問題に振り回されていた私は、彼の下で働くのがいい加減イヤになっていました。「早くここを辞めて、どこか別のレストランで働きたい」、その思いをピーター先生に打ち明けた時、思いがけない返事が返ってきました。
「辞めてもいいが、別のところに行っても、君はまた同じような問題に遭い、悩み、苦しむぞ。同じことをずっと繰り返すぞ。神さまの学校は感謝で卒業するのです。キリストの御名によって、今のオーナー、職場を感謝しなさい。君の力でできないのは分かっている。嘘でもいいから口に出して感謝するのです!」と言われました。


彼は嘘ならできると思い歯を食いしばって感謝したと言います。
この後、いろいろ大変なことがありましたが、感謝していくとき素晴らしいことが起きたということです。

本当に今のこんな大変な時代だからこそ感謝しながら生きていきたいものですね。