musasi's story (独白劇・霊巖洞の武蔵)
映像劇団@座としては、主に殺陣・ダンスを主に研究して来たが
独り芝居もやれる余裕が出で来た感じ。
映像技術は友人に上手なのが居るから、自分ではのんびりと
勉強中。。目下自作の台本は2本。
ギター弾き語りとタップダンスで英語歌詞のMr/bojangles。
武蔵の晩年の独白劇「霊巖洞の武蔵」。
独り芝居もやれる余裕が出で来た感じ。
映像技術は友人に上手なのが居るから、自分ではのんびりと
勉強中。。目下自作の台本は2本。
ギター弾き語りとタップダンスで英語歌詞のMr/bojangles。
武蔵の晩年の独白劇「霊巖洞の武蔵」。
武蔵の独白劇
創作詩吟:深山寂爆として、霊巖の洞中 剣客独り座して天命を知る!
舞台中央に刀に凭れてうたた寝をしている老齢の武蔵。
突然、「何者!」と叫び居合抜きに頭上に一閃!。。「夢か?
いや確かに殺気。、それも鋭い剣気だ。はて?今の剣気は何処かで感じた覚えがある。
何時だったかな。。そうだ!あの時、船島、巌流佐々木小次郎!」
思い起こせば、儂が試合った幾人かの中では強敵の一人と言える。小倉藩、指南役で、長刀三尺で飛ぶ燕さえ斬り落とすと噂の使い手だった。
当時、儂は29歳。福岡黒田・秋月藩に仕えていた養父の無二斎から依頼の手紙を受けた。細川藩指南役の巌流派と試合をする羽目になったが、老齢では昔の力量を出せぬ故,代理に応じてくれないかという申し出であった。勝利の暁には、黒田藩の指南役にも推挙したいとも。当時、名門吉岡道場や宝蔵院にも対戦して、武芸者として世に名を上げ,さらに日本一の剣客たらんとしていた儂は、承諾の返事を送り、下関に立ち寄る事になったのだ
養父の無二斎は当理流を指導していたが細川藩にも弟子が居た。この弟子達と巌流の弟子との間で悶着が起きた。無二斎の弟子でもあったこの武蔵の円明流と巌流の優劣論議が起こり、無二斎へ巌流から挑戦状が送られたのだ。細川藩と黒田藩の意地比べとなり、では試合で優劣を極めよう!となった次第だと言う。無二斎の代わりに儂が来る事を見越しての挑戦状であったのだ。後で知った事だったが、佐々木一族の台頭に頭を痛めていた細川藩の重臣達が巌流一派を藩から外したい意図も隠されていた様だ
儂の門司滞在の世話は養父の知人、家老の沼田延元家であった。試合場所は巌流側の希望で舟島と決まり、得物は真剣でも木刀でも自由で助太刀不要と言う約定であった。当日朝、船島で初めて小次郎と対面した。年は五十代。儂よりも多少上背があり、得物は三尺刃の野太刀を携えていた。儂は手製の長めの木刀であった。小次郎の秘剣、燕返しは俗に言う一心一刀の技法であることは既に心得ていた。真向から面を斬ると見せて,下から刃を返し股から斬り上げるか、左右どちらか斬り、素早く反対方向に斬り返す、又、袈裟から逆袈裟切上げの新陰流の逆風もその系列で、つまり、二段構えの秘術である。ならば、その「虎切刀」には我が秘術、「虎振り」で対応するしかないと4尺の木刀を用意したのだ。
検分役として藩の重臣2名と家来4名の見守る中で二人は相対した。小次郎が言った「お主、真剣ではないのか?ならば、拙者も木刀にするか」と控えに取りに行こうとしたが、だが儂の「貴殿は真剣でも結構。拙者は木刀に慣れておる故」と言った言葉に、小次郎の顔色が変わった。「お主、拙者の剣を甘く見ている様だの。ならば、手加減はせぬぞ!」殺気のある返答だった。相手が怒れば怒るほど扱い易い.怒れば剣に乱れが出るから。小次郎は刀を抜き、鞘を砂浜に突き立てた。そこで更に「貴殿の墓のようだの!」と揶揄してやった。小次郎は怒りで足場を確かめると長刀を右八相に構えた。儂は両手の幅を広げて木刀の長さを短くみせた下段構えで対応した。小次郎の右八相手からの一閃は我が首を一文字横に払て来た。その刃はすぐ右から左に反転すると察して一歩後退して間合を外した。次に小次郎は大上段に構えを変えて、ジリツと寄り足で迫って来た。儂は右脇構えに転じて相手の呼吸を図た
「来るか!」と感じた瞬間、すさまじい殺気が頭上から襲て来た。儂は前に出していた左足を引くと同時に、右足を前に踏み出し、右脇の木刀を思い切り振り放った。円明流秘技、虎ぶりの一撃だ。鈍い衝撃を掌に感じた。小次郎の体が一瞬、グラリと揺らぎながらも、その長刀は燕の速さで真上に翻っていた。儂の左足の袴の裾が切り裂かれていた。もし、左右の足を瞬時に替えて居なかったら、股から切上げられていた鋭い剣先だった。勝負はその一撃で決まった。小次郎は崩れる様に砂浜にうつ伏した。残心で見下ろしていた儂は、動かない小次郎に一礼し、検分役にも勝負が着いた合図の礼を送った。小次郎は4名の家来が持ち出した 戸板に乗せられ、小舟に運ばれて行った。その時、僅かに小次郎が呻いて動いたのを見て、少し、安堵の気持ちもあった。
沼田家の別室に帰り、勝負の疲れを癒していた昼時、主の延元が、慌ただしく入って来た。「武蔵殿、一大事だ。小次郎の弟子達が、お主を暗殺しようと鉄砲の用意をしている様だ」「弟子達が何故に❓勝負は正式の場で有った筈。。それに小次郎殿は未だ死んではいなかった」「それが、小次郎は一時生きては居たが、舟中で息を引き取ったらしい。悪いことに、小次郎を運んだ家来の中に、お主の父上の弟子が居たので、ひそかに撲殺したと勘繰られている様だ。このままではお主に危害が加わるかも知れぬ。拙者の家来5名に鉄砲を持たせて、秋月の父上の元迄、お送り申す。お急ぎ為され!面倒の起きぬ間に。。」儂は不本意ながら、その言葉に従った。
(武蔵は机に向かい、五輪者を書き始める)「ナレーション」
我、諸 国 々 を回り 、 諸 流 の 兵 法 者 に 行 逢 ひ 、 六 十 余 度 ま で 勝 負 を な し た が 、一 度 も 負 け 無 し 。 そ れ は 、 歳 十三よ り 二 十 八 、 九 ま で の 事 で あ っ た 。
後 年 、 細 川 藩 の 客 分 と な り 、 二 天 一 流 を 広 め る 生 活 を 送 っ て 来 た 。
今 や 齢 六 十 を 迎 え 、 我 が 生 涯 の 剣 暦 を 後 世 に 残 し た い と 思 い 、 こ こ 熊 本 天 拝 山霊巌 洞 に て筆 を 取 っ て い る 。
仏 法 、 儒 道 の 古 語 を も 借 りず 軍 記 軍 法 の 古 き こ と を も 用 ひ ず 、 此 の 二 天一 流 の 見 た て の『 実 の 心 』 を 顕 す 気 持 ち は 、 天 道 と 観 世 音 を 鏡 と す る 気 持 ち で 、 透 き 通 り 、
確 と し て い る 。 十 月 十 日 の 夜 、 寅 の 一 天 に 筆 を と っ て 書 初 め て い る (筆を置き、静かに立って大小の木刀を手に取り五法の呼吸法を演じ始める)
五輪の書とは、地水火風空の五大自然になぞらえ我が二天一流の剣理を記したものである。
地之巻とは 兵法者としての心構えを言う。
「地」は「直(すぐ)なる道の地形(ぢぎやう)を引ならす」意味で、兵法の見取図を記述した
水之巻には 二天一流の技術一般を記した。
すなわち「水」はその清い性質から連想して、兵法「一流のこと」をあらわす。
火之巻では 兵法のあるべき姿を述べた。
つまり「火」はその烈しさと変化の態様から合戦についてである。
風之巻では 他流派の癖、弱点を知る。「風」はいわば、世間の風、すなわち他流派の批判である。
空之巻にては 二天一流の極意境地を知る。肝心の「空」は儂の晩年の心境を描いたものである。「心意二つの心をみがき、観見二ツの眼をとぎ、少(すこし)もくもりなく、まよひの雲の晴たる所こそ、実の空としるべき也」又「心(しん)は空也」という禅的な認識によって結びのことばとしている
この五巻からなる五輪書こそ我が二天一流の剣法書である。
(呼吸法を演じ終える)
又我が五法の勢法は上中下段そして左右の五つの脇構えに集約される。
先ずは中段前八の構え。この様に二刀の剣先を敵の顔面に付け、敵を気迫で攻めながら、「喝」と突き、「咄」と斬る.次は上段円儀の構え。相手の突きに対しては小刀で押さえ、太刀で小手か真向を斬る。下段水形の構えとは「構有て構無し」の心境で、相手の打ち込みの腕の裏を斬り上げる。
上から十字に斬り下ろし、下から十字に斬り上げる。この上段と下段は一対の如くなり。
左脇構えは太刀を左下段に捨て置き、敵が打ちかけて来る所を下より相手の手を張る様に、はすかいに切上げ、斬り下ろす。最後の右方の構えは突き構も出来るが、右脇構えにして、相手が真向斬りなら摺り上げ、其の儘、真向に斬り下ろす。又は左右足替えて相手の左袈裟を斬る。別名「虎振り」の剣でもある。もし、相手が左右袈裟に打ち掛かれば、左右十字に流し受け斬る。真向に来れば、上段に大小を交差して摺り上げ、切っ先に返しに斬り下ろす。この五つの太刀筋にて、太刀の道を知り、いかように敵の打つ太刀を知る。これが我が二刀の定理である。
太刀を取ったら、必ず斬ると言う心構えが大事である。受ける、張る、当たる、粘る、触るなどという心に捕らわれず、すべては敵を斬る為のきっかけだと心得えるのが肝要。これが二天一流直通の太刀である。
(音響・遠雷)」「武蔵正座に戻り、真剣を翳して見つめる」
もはや、我が剣も老いたり。我が夢も影無し。されど、我が人生に悔いはない。人生六十有余年。今,ここに書を記し終えた。二天の奥技、永久に語り継がせん。む?!雷鳴が近いなあ。。フン。まるで儂を迎えに来た死神の怒号のような。我が剣に倒れし者供の怨霊の呻きにも聞こえる。
来るなら来たれ!見事、この武蔵の命を取って見せるか!」
武蔵、二刀を天に向かって抜刀!・(落雷鳴と共に暗転)終。
創作詩吟:深山寂爆として、霊巖の洞中 剣客独り座して天命を知る!
舞台中央に刀に凭れてうたた寝をしている老齢の武蔵。
突然、「何者!」と叫び居合抜きに頭上に一閃!。。「夢か?
いや確かに殺気。、それも鋭い剣気だ。はて?今の剣気は何処かで感じた覚えがある。
何時だったかな。。そうだ!あの時、船島、巌流佐々木小次郎!」
思い起こせば、儂が試合った幾人かの中では強敵の一人と言える。小倉藩、指南役で、長刀三尺で飛ぶ燕さえ斬り落とすと噂の使い手だった。
当時、儂は29歳。福岡黒田・秋月藩に仕えていた養父の無二斎から依頼の手紙を受けた。細川藩指南役の巌流派と試合をする羽目になったが、老齢では昔の力量を出せぬ故,代理に応じてくれないかという申し出であった。勝利の暁には、黒田藩の指南役にも推挙したいとも。当時、名門吉岡道場や宝蔵院にも対戦して、武芸者として世に名を上げ,さらに日本一の剣客たらんとしていた儂は、承諾の返事を送り、下関に立ち寄る事になったのだ
養父の無二斎は当理流を指導していたが細川藩にも弟子が居た。この弟子達と巌流の弟子との間で悶着が起きた。無二斎の弟子でもあったこの武蔵の円明流と巌流の優劣論議が起こり、無二斎へ巌流から挑戦状が送られたのだ。細川藩と黒田藩の意地比べとなり、では試合で優劣を極めよう!となった次第だと言う。無二斎の代わりに儂が来る事を見越しての挑戦状であったのだ。後で知った事だったが、佐々木一族の台頭に頭を痛めていた細川藩の重臣達が巌流一派を藩から外したい意図も隠されていた様だ
儂の門司滞在の世話は養父の知人、家老の沼田延元家であった。試合場所は巌流側の希望で舟島と決まり、得物は真剣でも木刀でも自由で助太刀不要と言う約定であった。当日朝、船島で初めて小次郎と対面した。年は五十代。儂よりも多少上背があり、得物は三尺刃の野太刀を携えていた。儂は手製の長めの木刀であった。小次郎の秘剣、燕返しは俗に言う一心一刀の技法であることは既に心得ていた。真向から面を斬ると見せて,下から刃を返し股から斬り上げるか、左右どちらか斬り、素早く反対方向に斬り返す、又、袈裟から逆袈裟切上げの新陰流の逆風もその系列で、つまり、二段構えの秘術である。ならば、その「虎切刀」には我が秘術、「虎振り」で対応するしかないと4尺の木刀を用意したのだ。
検分役として藩の重臣2名と家来4名の見守る中で二人は相対した。小次郎が言った「お主、真剣ではないのか?ならば、拙者も木刀にするか」と控えに取りに行こうとしたが、だが儂の「貴殿は真剣でも結構。拙者は木刀に慣れておる故」と言った言葉に、小次郎の顔色が変わった。「お主、拙者の剣を甘く見ている様だの。ならば、手加減はせぬぞ!」殺気のある返答だった。相手が怒れば怒るほど扱い易い.怒れば剣に乱れが出るから。小次郎は刀を抜き、鞘を砂浜に突き立てた。そこで更に「貴殿の墓のようだの!」と揶揄してやった。小次郎は怒りで足場を確かめると長刀を右八相に構えた。儂は両手の幅を広げて木刀の長さを短くみせた下段構えで対応した。小次郎の右八相手からの一閃は我が首を一文字横に払て来た。その刃はすぐ右から左に反転すると察して一歩後退して間合を外した。次に小次郎は大上段に構えを変えて、ジリツと寄り足で迫って来た。儂は右脇構えに転じて相手の呼吸を図た
「来るか!」と感じた瞬間、すさまじい殺気が頭上から襲て来た。儂は前に出していた左足を引くと同時に、右足を前に踏み出し、右脇の木刀を思い切り振り放った。円明流秘技、虎ぶりの一撃だ。鈍い衝撃を掌に感じた。小次郎の体が一瞬、グラリと揺らぎながらも、その長刀は燕の速さで真上に翻っていた。儂の左足の袴の裾が切り裂かれていた。もし、左右の足を瞬時に替えて居なかったら、股から切上げられていた鋭い剣先だった。勝負はその一撃で決まった。小次郎は崩れる様に砂浜にうつ伏した。残心で見下ろしていた儂は、動かない小次郎に一礼し、検分役にも勝負が着いた合図の礼を送った。小次郎は4名の家来が持ち出した 戸板に乗せられ、小舟に運ばれて行った。その時、僅かに小次郎が呻いて動いたのを見て、少し、安堵の気持ちもあった。
沼田家の別室に帰り、勝負の疲れを癒していた昼時、主の延元が、慌ただしく入って来た。「武蔵殿、一大事だ。小次郎の弟子達が、お主を暗殺しようと鉄砲の用意をしている様だ」「弟子達が何故に❓勝負は正式の場で有った筈。。それに小次郎殿は未だ死んではいなかった」「それが、小次郎は一時生きては居たが、舟中で息を引き取ったらしい。悪いことに、小次郎を運んだ家来の中に、お主の父上の弟子が居たので、ひそかに撲殺したと勘繰られている様だ。このままではお主に危害が加わるかも知れぬ。拙者の家来5名に鉄砲を持たせて、秋月の父上の元迄、お送り申す。お急ぎ為され!面倒の起きぬ間に。。」儂は不本意ながら、その言葉に従った。
(武蔵は机に向かい、五輪者を書き始める)「ナレーション」
我、諸 国 々 を回り 、 諸 流 の 兵 法 者 に 行 逢 ひ 、 六 十 余 度 ま で 勝 負 を な し た が 、一 度 も 負 け 無 し 。 そ れ は 、 歳 十三よ り 二 十 八 、 九 ま で の 事 で あ っ た 。
後 年 、 細 川 藩 の 客 分 と な り 、 二 天 一 流 を 広 め る 生 活 を 送 っ て 来 た 。
今 や 齢 六 十 を 迎 え 、 我 が 生 涯 の 剣 暦 を 後 世 に 残 し た い と 思 い 、 こ こ 熊 本 天 拝 山霊巌 洞 に て筆 を 取 っ て い る 。
仏 法 、 儒 道 の 古 語 を も 借 りず 軍 記 軍 法 の 古 き こ と を も 用 ひ ず 、 此 の 二 天一 流 の 見 た て の『 実 の 心 』 を 顕 す 気 持 ち は 、 天 道 と 観 世 音 を 鏡 と す る 気 持 ち で 、 透 き 通 り 、
確 と し て い る 。 十 月 十 日 の 夜 、 寅 の 一 天 に 筆 を と っ て 書 初 め て い る (筆を置き、静かに立って大小の木刀を手に取り五法の呼吸法を演じ始める)
五輪の書とは、地水火風空の五大自然になぞらえ我が二天一流の剣理を記したものである。
地之巻とは 兵法者としての心構えを言う。
「地」は「直(すぐ)なる道の地形(ぢぎやう)を引ならす」意味で、兵法の見取図を記述した
水之巻には 二天一流の技術一般を記した。
すなわち「水」はその清い性質から連想して、兵法「一流のこと」をあらわす。
火之巻では 兵法のあるべき姿を述べた。
つまり「火」はその烈しさと変化の態様から合戦についてである。
風之巻では 他流派の癖、弱点を知る。「風」はいわば、世間の風、すなわち他流派の批判である。
空之巻にては 二天一流の極意境地を知る。肝心の「空」は儂の晩年の心境を描いたものである。「心意二つの心をみがき、観見二ツの眼をとぎ、少(すこし)もくもりなく、まよひの雲の晴たる所こそ、実の空としるべき也」又「心(しん)は空也」という禅的な認識によって結びのことばとしている
この五巻からなる五輪書こそ我が二天一流の剣法書である。
(呼吸法を演じ終える)
又我が五法の勢法は上中下段そして左右の五つの脇構えに集約される。
先ずは中段前八の構え。この様に二刀の剣先を敵の顔面に付け、敵を気迫で攻めながら、「喝」と突き、「咄」と斬る.次は上段円儀の構え。相手の突きに対しては小刀で押さえ、太刀で小手か真向を斬る。下段水形の構えとは「構有て構無し」の心境で、相手の打ち込みの腕の裏を斬り上げる。
上から十字に斬り下ろし、下から十字に斬り上げる。この上段と下段は一対の如くなり。
左脇構えは太刀を左下段に捨て置き、敵が打ちかけて来る所を下より相手の手を張る様に、はすかいに切上げ、斬り下ろす。最後の右方の構えは突き構も出来るが、右脇構えにして、相手が真向斬りなら摺り上げ、其の儘、真向に斬り下ろす。又は左右足替えて相手の左袈裟を斬る。別名「虎振り」の剣でもある。もし、相手が左右袈裟に打ち掛かれば、左右十字に流し受け斬る。真向に来れば、上段に大小を交差して摺り上げ、切っ先に返しに斬り下ろす。この五つの太刀筋にて、太刀の道を知り、いかように敵の打つ太刀を知る。これが我が二刀の定理である。
太刀を取ったら、必ず斬ると言う心構えが大事である。受ける、張る、当たる、粘る、触るなどという心に捕らわれず、すべては敵を斬る為のきっかけだと心得えるのが肝要。これが二天一流直通の太刀である。
(音響・遠雷)」「武蔵正座に戻り、真剣を翳して見つめる」
もはや、我が剣も老いたり。我が夢も影無し。されど、我が人生に悔いはない。人生六十有余年。今,ここに書を記し終えた。二天の奥技、永久に語り継がせん。む?!雷鳴が近いなあ。。フン。まるで儂を迎えに来た死神の怒号のような。我が剣に倒れし者供の怨霊の呻きにも聞こえる。
来るなら来たれ!見事、この武蔵の命を取って見せるか!」
武蔵、二刀を天に向かって抜刀!・(落雷鳴と共に暗転)終。
今年は電子本出版を目標にしているので、それに合った企画を行っている。
早良体育館は近いので、刀類も運びやすいから殺陣指導も可能になる。
福岡市民体育館では女性向けダンス護身術
西体育館では外国人へのサムライダンス指導中。
早良では両方を行う。
「水晶玉の不思議」を電子本にしてキンドルで初出版しているが、
SAMURAIDANCE(黒田武士舞)も3年以内には英文化して
動画付きで出してみたいと思ってる。外人仲間を募集していくのも
その過程で必要になる。
その為には語学力(英作文)の勉強が必要。取りあえずは
翻訳ソフトを利用してみようと思う。
長文は誤訳が多いので短文にして英訳し、その英訳したものを
又日本語してみると、可なり正確性が出てくることに気付いた。
又、「前世催眠」の独り芝居創作も目下検討中。。
観客を集団催眠にできたら発見だ(笑)。
病気やトラウマを癒す方法を潜在意識に刻んでやるのもサービスかも。
或いは自己催眠でホントに自分の前世を想起できるキッカケになるかも。
私自身は自前の水晶玉で前世らしき戦場と舞台演舞を映した絵を見たから
多分、現在の己の趣味や個性と近い累系を歩んで来たと思える。
現在の自分の趣味嗜好が前世の記憶かも知れないと思う。
観客もおそらく同じ傾向に行きつくものだと推測している。。
人間が人間を生むのも輪廻転生の法則に連鎖していると思う。
自作「帰って来たヨッパライ」もそのつもりで書いたから
何時かビデオドラマ化してみたいものだ。。