幸のその後{2}
神仏を信じない人間が神仏に頼る?
私の撫地蔵参拝は矛盾の塊
神仏とはお願いするものでなく
偉大で尊敬、力のあった人間が神様として
敬われ忘れることの無いよう社を建て
末代に残そうとしたのだろう
多くの人間が
自分に都合のよい神を創り自己の
思いどうりに===
其の結果が己の新が正しいと
古代から現代まで争いをやめない
馬鹿なことであり悲しい
その神である撫地蔵に幸を参拝させると
心が落ち着くのは、私の弱さ、信念のなさ
それでもお参りをするだろう
足取りの重い幸の姿が私の姿?
命あるまで 幸と二人三で歩こう
勿論、家族の力も借りて