うちはテレビがありませんので、
SNSで友達がシェアしてくれたもので、
椎名林檎さんの紅白でのパフォーマンスを見ました。
参考:紅白歌合戦2016 椎名林檎のステージがカッコ良過ぎる 青春の瞬き FROM TOKYO 2020
動画
2020年の東京オリンピックに向けて、
日本のクールジャパンのアピール的な側面もありつつ、
プロジェクションマッピングといい、喪服っぽい衣装といい、
なんでも東京事変のメンバー復活だそうで、
私はよくわからないけど、ファンにはたまらない演出であり、
隅から隅までクールなパフォーマンスだと思った。
そうした諸々の細かいことが解らない自分にとっては、
ひとことで言えば、過ぎ去る時代へのレクイエムに思え、
何度も繰り返し見てしまいました。
スマップ解散に対して贈る歌じゃないかとかなんとか、
とネットで書いている人もいました。
スマスマの共演でこの曲を歌っていますしね。
そして、2016年、多くのアーティストが亡くなった。
デビッド・ボウイやプリンスなどなど。
「美しさと正しさが等しくあると
疑わないでいられるのは若さゆえなんだ」
そして
「時よとまれ何一つ変わってはならないのさ
今まさに僕らめざしていた場所へたどり着いたんだ」
この歌詞がとても印象に残ります。
戦後の日本に当てはめてみると、高度経済成長、
そのさなかに1964年の東京オリンピックがありました。
その頃は、これで世界は良くなるという
疑わない何かが世の中にあったはず。
そして、今の世界は、
「まさに、目指していた場所に辿りついたんだ」
ですが、実際の結果はどうなのでしょう。
その言葉の裏には
「目指していた場所に辿りついたけど、
それで良かったのか?」
意味が含まれているように感じます。
と同時に、
「これで良くなると思ったのに、
どうしてこんな結果になったんだ」
という、やるせなさもあり。
そのようなことが、
様々な次元で起きているのが、
今の世界なのではないかな。
地球レベルでも、日本レベルでも、
スマップレベルでも。
そして自分レベルでも。
ゴタゴタがありながらも、
2020年の東京オリンピックに向けて
進んでいく世界。
多くの問題を置き去りにしてそんなことでいいのか?という声と、
経済成長!前向きに行かなくてどうする!という声。
衣装は喪服に見えるけど、半襟に鶴が描かれているところなどは、
喪の中にも、祝福的な要素も含んでいたりと、
細部を見て、シンボリズム的な解釈をすればするほど、
よくできた作品と思ってしまいました。
(いちおう、祝いの場としての誂えらしい⇒解説)
しかし、何度も繰り返し見てしまう理由としては、
そこから感じられる感覚であることに気づきました。
それは、そんなこんなも含めて、
慈愛を持って見送ることが出来るような感覚です。
それぞれが掲げてきた正義の旗も、
無自覚に共有された共同幻想も、
「実は何か違ったんだ」という気まずい雰囲気も、
受け入れがたい感覚も
すべてを巻き込み、何かの境界を超えていくような。
まさに、「若気の至りでバカだったな~」
という感じで、慈しみを込めて、否定もせず、
その時代に敬意を表して見送るような感じかな。
もし、なにかが終わったとして次に進んでいくとしたならば、
早速、誰かが勝ち誇ったかのように、新しい旗を掲げるならば、
結局同じことを繰りかえすような気がする今日この頃。
あぁ、必要なのは「こういう感覚」だな、
という風に感じたところが、
何度も繰り返してみてしまう理由でした。
「こういう」についてははっきり言語化しがたいので、
もうちょっと、寝かせてみたいと思います。
勝手にいろいろ書いていますが、お作りになっている方々は、
どこまで意識されているかわからないですけどね。
もしも、「そんなところまでは考えてないよ~」
って感じだったとしても、それは、アーティストとして
時代のスピリットに作らされた、
といってもいいのかもしれません。