Earth Spiral

Survival&Creative life. 
大地と魂の声を聴き、自分の道を歩め

自然をどう見ているか?

2010-01-10 | 日記的な
子供の頃は、何にでも心があって、
物ですら簡単に捨てることができなかった記憶がある。
小学校だったか中学校で習ったことは、
「そういうのはアニミズムといい、原始的な感覚だ」
ということだった。

学校はろくなことを教えないと、今になると思う。

西洋文明では、「自然は人間が利用してもいいもの」
(ともすれば「白人以外は白人のために利用してもいいもの」
という極端な考えもあるらしい)、
と考えられていて、その上に文化、文明が成り立ってきている。
お察しのように、資本主義もその精神の上に発展してきたようだ。

良い悪いは、今、論じるのはおいといて、
自分自身が「自然」というものをどう見てきたかを考えてみると面白いかなと思う。
わたしは、特に子供の頃から自然が好きとかそういうことはなかった。
周りは田んぼに囲まれ、盆地で育ったので周囲には山でぐるっと囲まれていた。
当たり前の風景。別にそれがすきでも嫌いでもなかった。
大人になり仕事を始めて、アロマテラピーに出会ったときに
自然の癒しの力の不思議さを感じたのが、今に至る入り口だ。
植物って、人間を癒す力があるんだ、役立つんだ、そんな感覚だったと思う。

今思えば、それも傲慢な感覚。
自然界の一部であり、それに生かされているのが人間なのだ。
だから、自分もやはり、西洋から来た価値観が
刷り込まれて育ってきたということだ。

日本人は、とてもあいまいなところがあって、
なんとなく、自然の中に神様を感じる感覚もありつつ、
自然を勝手に利用しているところもある。
このあいまいな感覚が問題を不明確にしていると感じることが良くある。

西洋では、前述のような自然に対する態度はおかしい!
という気づきがあり、「自然は人間が勝手に利用してもいいのだ」
という精神に対するアンチテーゼがはっきりと出されている。
それが、極端な自然保護になったりするのかもしれないが。

日本には「自然」という言葉はなかったということを聞いたことがある。
だって、自分がその一部だから、西洋のように、観察の対象物として
名前をつけることなんかできなかったのだろう。

今の日本人は、おそらく資本主義どっぷりの文明に使っているのだけれど、
自然を感じる感性なんかは古来から受け継がれていたりして、
なんとなく、自然を理解し、大事にしている「気分」になってるのかなと思う。

最近も、日本はエコな技術も進んでいるし、
これ以上、CO2の排出をなんで減らさなきゃいかんのだ、という人もいるけれど、
問題はCO2でもエネルギー効率の良い車や家電を持っていることでもなんでもなくて、
自分の今の生き方の根底に、どんなメンタルモデルがあるのか?
どんなすり込みがされているのか? それを意識化して、
本当に生きる意味のある人生にするために、何を大事にしたらいいのか、
7世代先の子供達も生きられる社会、そして、どこかで飢えている人がいたり、
戦争で死んでいく人がいない世界にするには、どうしたらいいのか?
こんな世の中になったことと、自分自身とはどう関係があるのかを
学びなおし、気づくこと、そして、まずいと思ったら
変える決断をすることが必要な時期なのだと思います。

その、気づきのヒントに、自分は自然をどう見ているのかを
意識化することって大事じゃないかなと思ったりします。

参考:
ディープエコロジーと山川草木
環境ジャーナリストの枝廣淳子さんのコラム

まんが日本昔ばなし 「油のでる山」


日本の昔話には、自然との付き合い方に対する教訓が満載なんですね。



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