カンニング人間は優れていて幸せなのでしょうか。若い年齢のカンニング人間はカンニング出来るから世の中の情報をいっぱい取得しているから。カンニング出来ない人間よりはるかに優れているいることも多いのですが。それでもカンニング出来ない人間も仕事をしていって経験を積むし。それに私の様なカンニング出来ない人間はフルマラソンやトライアスロンを完走するし。カンニング出来ない人間も多くの経験を積んでいけばカンニング人間よりはるかに能力を持つ人も年行けば出てきますが。年行ってるカンニング出来ない人間は能力がなかったらやっていけなくなるので。年寄りカンニング出来ない人間はほとんど能力者ばかりとなるのですが。年行ったカンニング人間は若いときから全てカンニングで済ませて来たから。苦労して何かをするは全くしないし。試験でも全てカンニングで済ませて。周りの人間が暗記で苦しめられて試験してるのに全く勉強せずそれでもトップを取るから。いつも若いときは優越感を持って優越感に浸って生きているので。年行って試験もなくなり浸れる優越感もなくなるうえに周りはカンニングできない能力者ばかりとなって来ますから苦しくて苦しくて仕方がなくなってくるのですが。実際カンニング人間でフルマラソンやトライアスロン完走者は見たことがありませんが。私は完走しましたが。私はその能力を生かし家でのプライベートな職場の仕事に関係してる勉強をいっぱいして来ましたが。それらの勉強もフルマラソン完走能力の要求されるような非常な単純労働がほとんどで一部頭脳労働もありましたが。しかしフルマラソン完走が家でも勉強に非常に役立ちましたが。カンニング人間にこんな仕事はありえないので。仕事していたら年行くたびにカンニングできない人間に負けだすのですが。それでカンニング出来ない人間の年行ってからの苦労話を聞いても自分はその苦労をしてないので。カンニングしても進歩はまったくなくなるし。不幸ばかりとなりますが。カンニング出来ない人間のフルマラソン完走から来る苦痛に対する適切な対応方法も。自分がしてないから説明のしようがない問題もいっぱい増えてきて。能力ある人の蚊帳の外に追いやられるわけですが。年行ったカンニング人間は嫌な話をいっぱい聞かされ苦しみだけのそれ以外ない不幸な人間もいっぱい出てくるのです。