それから何回かスーツの二人連れを、ライブの客席で見た。
でも、ただそれだけで何か私たちに言ってきた訳じゃない。
変わった動きが無いから、高梨さんもあれから何も言って来なかった。
私も高梨さんも、姿を見せなくなったスーツの二人連れを、だんだんと忘れていったのだ。
そうして半年くらいたったある日。
ライブの前に、次のレコーディングに向けての打ち合わせがあった。
私たちはもう、インディーズからアルバムを1枚出している。
それから1年ほどたって、そろそろどうか、ってことになったのだ。
普段はお客さんが立つ場所に、パイプ椅子を置いて、メンバー全員が集まった。
私はクリアファイルに入った譜面を出して、皆に配った。
私たちのバンドの曲…
作曲は私、作詞はほぼ達也、そして編曲はみんなで。
バンドとしてオリジナル曲をやるようになってから、ずっとこの形でやって来た。
公式なクレジットは、作・編曲がウイングスになってる。
みんなで編曲もしてるし、作曲のクレジットもみんなにしてって、頼み込んだのは私。
達也には最初、反対されたけど。
打ち合わせは、私が出した曲にみんなが各々の楽器で色づけしていく。
そして、達也が歌詞をつけて行くというもの。
いつものように、ドラムとベースのリズムを決めて、ギターの流れのアイデアを出し合って。
何曲か形が出来たところで、その日は時間が来てしまった。
確かに形は出来た。
でも、いつもより達也がのめり込んでいない気がして…
達也の心だけ、どこかへ飛んでしまってるみたいだった。
「達也」
この後のライブのため、楽屋に向かう達也を呼び止めた。
どうしたのか、何かあったのか聞きたくて…
「ねえ、何かあった?何を考えてるの?」
私を見下ろす達也は、少し迷った顔をした。
でも、口から出た言葉は…
「何にもないよ。洋子は相変わらず心配性だな。じゃ、後で」
頭をポンポンと叩いて、楽屋に入ってしまった。
「なんで言ってくれないかな…」
気になるけれど、これからライブ。
切り替えないと。
ライブが始まるとどこかへ遠くに飛んでいった達也が、戻って来た。
バンドのグルーヴがお客を煽って、達也の声が地面を蹴って飛び立つように響き渡った。
達也の後ろでキーボードを弾く。
その時、達也の声に持ち上げられて私もふわっと飛んでるみたいだった。
達也は声という翼があるけど、今だけ私にも翼が出来て空へ飛び立たせてくれる。
客側からの歓声に包まれて、浮遊感が気持ちいい。
初めてではないけれど、滅多にないこんな瞬間。
そうそうない感覚に包まれて、私は心に決めた。
達也の翼があるからこそ、私の翼でも飛びたてるんだ。
達也が抜けることになったら、私はバンドを…音楽をやめよう。
達也からも離れよう。
達也が目指す世界には、きっと私のいる場所はない。
側にいたくてもいられなくなる。
これから別の世界に飛び立つ達也に、しがみつきたくない。
でも、そんな簡単に達也から離れる…別れることが出来るの?
その晩、達也は行く所があると行って、アパートには帰らなかった。
朝、起きても戻って来てない。
やっぱり、何かあったんだ。
打ち合わせの時の達也を思い出した。
その日はライブのない日。
私はのろのろと支度をして、出掛けた。
1人でじっとしていてもしようがない。
アパートの最寄りの駅から、繁華街のある大きな駅に向かった。
そこには、私たちのCDを置いてくれているショップが何軒かある。
それと、大きなCDショップもあって、休みの時たまに達也とショップを廻ったりする。
駅から1番遠いショップまで、ぶらぶらと歩いた。
駅からしばらく行くと、大きな公園があってそこの遊歩道に入る。
公園で遊んでる人を眺めながら歩くと、ショップまでの近道なのだ。
もうすぐ遊歩道が終わるタイミングで、前を向いた。
公園の出口の脇、大きな木の下に見覚えのある姿。
「…達也」
まさか、ここにいるなんて。
ゆっくりと近づくと、達也も私を見て目を見開いた。
「洋子…なんで」
「それは、私のセリフ」
達也の脇に行くと、私をチラッと見てから左腕が伸びてくる。
ぎゅっと手を繋がれたら、しばらく何も言えないでいた。
「…何も、聞かないの?」
「何を聞いたらいいのか、分からないもの」
達也に手を引かれて、遊歩道をさらに歩いてから木陰のベンチに座った。
日差しがきついからか、陰になったベンチも熱くなってる。
遊具で遊ぶ子供の声、はしゃぐ女の子たちの矯声をしばらく聞いていた。
それがふっと途切れた頃に、達也が口を開いた。
「半年くらい前に、声をかけてもらったんだ。ソロ活動をしてみないかって」
「半年前…」
あのスーツの人たち。
やっぱり、達也に声を掛けた事務所の人たちだったの…
「洋子、気づいてたよな。たぶん、みんなも」
「うん。なんだか客席に浮いた人たちがいるなあって思ってた。高梨さんは、あれは芸能事務所の人じゃないかって」
「高梨さんが…」
「それこそ、半年くらい前のことだよ…達也、もう決めてるんでしょ」
「うん…相談しなくてごめん」
「私に相談したって、やりたかったらやるんでしょ。前からの夢だもの」
「洋子…でも、そうしたら洋子といられるかどうか…」
「分かってるよ。大手の事務所でソロミュージシャンとして売り出されるってどういうことなのか。きっと、私といない方がいいよね」
「…それは…」
「無理だよ。たぶん私は邪魔になる」
「邪魔なんて言うなよ…」
「…達也だって分かってるくせに」
「…ごめん。洋子にそんなこと言わせて。でも、俺ソロでやってみたいんだ」
もう、決めてる、意思の強い瞳。…
私と離れることになっても、夢を追いかけたいんだよね。
「達也が夢を叶えようとするのを、ただ一緒にいたいからって止めるなんて出来ないよ…でも…達也が抜けたら、私バンドは止める」
俯いていた達也が顔を上げて私を見た。
その目が何か訴えているようで、目を逸らせなくて。
口にした言葉は意外なことだった。
「洋子、バンドは続けて欲しいんだ」
「続けるって…そもそも私だけじゃなくてみんなも考えると思うよ、ボーカルがいなくなるんだから。それとも、誰かボーカルを入れてって言うこと?」
「そうじゃなくて…洋子が」
「え?私?」
「言ったことなかったけど、洋子の曲は洋子の声が1番合うと思うんだ」
「私の声って…私がメインボーカルなんて無理だよ」
「無理なんかじゃない。いますぐじゃなくていいから、考えて」
ライブで歌ってはいるけど、コーラスが多いのに…メインボーカルなんて荷が重過ぎる。
それきり黙ってしまった達也を横目で見た。
最後に言われたことを、まさかバンドメンバーからも言われるなんて、この時は考えてもいなかった。
でも、ただそれだけで何か私たちに言ってきた訳じゃない。
変わった動きが無いから、高梨さんもあれから何も言って来なかった。
私も高梨さんも、姿を見せなくなったスーツの二人連れを、だんだんと忘れていったのだ。
そうして半年くらいたったある日。
ライブの前に、次のレコーディングに向けての打ち合わせがあった。
私たちはもう、インディーズからアルバムを1枚出している。
それから1年ほどたって、そろそろどうか、ってことになったのだ。
普段はお客さんが立つ場所に、パイプ椅子を置いて、メンバー全員が集まった。
私はクリアファイルに入った譜面を出して、皆に配った。
私たちのバンドの曲…
作曲は私、作詞はほぼ達也、そして編曲はみんなで。
バンドとしてオリジナル曲をやるようになってから、ずっとこの形でやって来た。
公式なクレジットは、作・編曲がウイングスになってる。
みんなで編曲もしてるし、作曲のクレジットもみんなにしてって、頼み込んだのは私。
達也には最初、反対されたけど。
打ち合わせは、私が出した曲にみんなが各々の楽器で色づけしていく。
そして、達也が歌詞をつけて行くというもの。
いつものように、ドラムとベースのリズムを決めて、ギターの流れのアイデアを出し合って。
何曲か形が出来たところで、その日は時間が来てしまった。
確かに形は出来た。
でも、いつもより達也がのめり込んでいない気がして…
達也の心だけ、どこかへ飛んでしまってるみたいだった。
「達也」
この後のライブのため、楽屋に向かう達也を呼び止めた。
どうしたのか、何かあったのか聞きたくて…
「ねえ、何かあった?何を考えてるの?」
私を見下ろす達也は、少し迷った顔をした。
でも、口から出た言葉は…
「何にもないよ。洋子は相変わらず心配性だな。じゃ、後で」
頭をポンポンと叩いて、楽屋に入ってしまった。
「なんで言ってくれないかな…」
気になるけれど、これからライブ。
切り替えないと。
ライブが始まるとどこかへ遠くに飛んでいった達也が、戻って来た。
バンドのグルーヴがお客を煽って、達也の声が地面を蹴って飛び立つように響き渡った。
達也の後ろでキーボードを弾く。
その時、達也の声に持ち上げられて私もふわっと飛んでるみたいだった。
達也は声という翼があるけど、今だけ私にも翼が出来て空へ飛び立たせてくれる。
客側からの歓声に包まれて、浮遊感が気持ちいい。
初めてではないけれど、滅多にないこんな瞬間。
そうそうない感覚に包まれて、私は心に決めた。
達也の翼があるからこそ、私の翼でも飛びたてるんだ。
達也が抜けることになったら、私はバンドを…音楽をやめよう。
達也からも離れよう。
達也が目指す世界には、きっと私のいる場所はない。
側にいたくてもいられなくなる。
これから別の世界に飛び立つ達也に、しがみつきたくない。
でも、そんな簡単に達也から離れる…別れることが出来るの?
その晩、達也は行く所があると行って、アパートには帰らなかった。
朝、起きても戻って来てない。
やっぱり、何かあったんだ。
打ち合わせの時の達也を思い出した。
その日はライブのない日。
私はのろのろと支度をして、出掛けた。
1人でじっとしていてもしようがない。
アパートの最寄りの駅から、繁華街のある大きな駅に向かった。
そこには、私たちのCDを置いてくれているショップが何軒かある。
それと、大きなCDショップもあって、休みの時たまに達也とショップを廻ったりする。
駅から1番遠いショップまで、ぶらぶらと歩いた。
駅からしばらく行くと、大きな公園があってそこの遊歩道に入る。
公園で遊んでる人を眺めながら歩くと、ショップまでの近道なのだ。
もうすぐ遊歩道が終わるタイミングで、前を向いた。
公園の出口の脇、大きな木の下に見覚えのある姿。
「…達也」
まさか、ここにいるなんて。
ゆっくりと近づくと、達也も私を見て目を見開いた。
「洋子…なんで」
「それは、私のセリフ」
達也の脇に行くと、私をチラッと見てから左腕が伸びてくる。
ぎゅっと手を繋がれたら、しばらく何も言えないでいた。
「…何も、聞かないの?」
「何を聞いたらいいのか、分からないもの」
達也に手を引かれて、遊歩道をさらに歩いてから木陰のベンチに座った。
日差しがきついからか、陰になったベンチも熱くなってる。
遊具で遊ぶ子供の声、はしゃぐ女の子たちの矯声をしばらく聞いていた。
それがふっと途切れた頃に、達也が口を開いた。
「半年くらい前に、声をかけてもらったんだ。ソロ活動をしてみないかって」
「半年前…」
あのスーツの人たち。
やっぱり、達也に声を掛けた事務所の人たちだったの…
「洋子、気づいてたよな。たぶん、みんなも」
「うん。なんだか客席に浮いた人たちがいるなあって思ってた。高梨さんは、あれは芸能事務所の人じゃないかって」
「高梨さんが…」
「それこそ、半年くらい前のことだよ…達也、もう決めてるんでしょ」
「うん…相談しなくてごめん」
「私に相談したって、やりたかったらやるんでしょ。前からの夢だもの」
「洋子…でも、そうしたら洋子といられるかどうか…」
「分かってるよ。大手の事務所でソロミュージシャンとして売り出されるってどういうことなのか。きっと、私といない方がいいよね」
「…それは…」
「無理だよ。たぶん私は邪魔になる」
「邪魔なんて言うなよ…」
「…達也だって分かってるくせに」
「…ごめん。洋子にそんなこと言わせて。でも、俺ソロでやってみたいんだ」
もう、決めてる、意思の強い瞳。…
私と離れることになっても、夢を追いかけたいんだよね。
「達也が夢を叶えようとするのを、ただ一緒にいたいからって止めるなんて出来ないよ…でも…達也が抜けたら、私バンドは止める」
俯いていた達也が顔を上げて私を見た。
その目が何か訴えているようで、目を逸らせなくて。
口にした言葉は意外なことだった。
「洋子、バンドは続けて欲しいんだ」
「続けるって…そもそも私だけじゃなくてみんなも考えると思うよ、ボーカルがいなくなるんだから。それとも、誰かボーカルを入れてって言うこと?」
「そうじゃなくて…洋子が」
「え?私?」
「言ったことなかったけど、洋子の曲は洋子の声が1番合うと思うんだ」
「私の声って…私がメインボーカルなんて無理だよ」
「無理なんかじゃない。いますぐじゃなくていいから、考えて」
ライブで歌ってはいるけど、コーラスが多いのに…メインボーカルなんて荷が重過ぎる。
それきり黙ってしまった達也を横目で見た。
最後に言われたことを、まさかバンドメンバーからも言われるなんて、この時は考えてもいなかった。