兄媛 

昔、呉の国から四人のはた織りめが渡来し、
裁縫、染めの技術も伝えたといわれています。

油屋町界隈

2015年11月24日 | 日記

長崎市油屋町界隈
かなり長く石畳が続いています、朝だからでしょうか観光客は
ほとんど歩いていません。

今日は午前中長崎行でした。
長崎市内はご存じの通り大きなお祭りがあるので
染の文化が残っています。
色使いが長崎らしく、またくんちの時は
手ぬぐいの使い方が粋です。
なかなか、くんちの時は人が多いので行きませんが
衣装や町世話人の方々の礼装は目を
見張るものがあります。
着物類は京都に発注してあるそうで
礼装は紋付羽織袴に山高帽です。
特に紋付の黒さが違います。
昔は染料に含まれるタンニンが絹を丈夫にし
護身用としても使われていたそうですが
現代は化学染料と技術向上でさらに深みのある黒色です。
帯は圧倒的に博多献上が多く締められています、
激しい動きにもほどけずにいてくれますから。

長崎市内に何軒か染め物屋さんがあり、毎年のくんちのための
染物はちゃんと順番で回るそうです。
その中の一軒の染め物屋さんの近くには
長崎の豪商「大浦 慶」の墓所があり、
女性のお参りの人が絶えません。
長崎にはお慶さんの名称で女性起業者の会もあります。
私は日本茶が大大好きでお慶さんのことも
大好きですから羨ましい限りです。



油屋町から真っ直ぐ石畳を街中に歩いていくと
石畳の終り近くに「大浦 けい」居宅跡の
石碑が立っています。
現在は地元の大手銀行の仮店舗になっていました。
そのまた近くに長崎でも有名な喫茶店があります
朝9時から開いていますので助かります。
この石畳の道は朝のお散歩にはお勧めです
地元の人の為のお店が並んでいてお値段が安いです。




画像の中の写真は日本で初めての写真家、上野彦馬氏による撮影と
いわれています
ちょうど朝日が逆光で上手く撮れずド下手で
お慶さんに申し訳ないです。




長崎市の市章 港を意味する折り鶴形

前から気になっていた長崎市の市章、何で五芒星なのか?
道のいたるところにある孔の蓋に施されて
います、アジサイはわかるけど・・・。
長崎市のホームページで調べてみたら
五つの港(鶴の港を象徴して)を折り鶴の形で星状に
配しと説明してありました。
謎が解けました、イヤ私が勝手に決めつけていました。


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