すべては皇室に繋がっている

雅子様と守谷慧さんの接点 小和田家と守谷家の交流 ①




雅子様と守谷慧さんは、父親の仕事の都合で同じ時期にフランスに滞在していた。

父親達は共に政府から派遣された官僚。



雅子様


1987                  外務省入省 経済局国際機関第2課に配属 (OECD担当)

1988年〜1990  イギリス オックスフォード大学へ外務省の研修で留学

                              フランスの両親宅に滞在しているようだと報道


1988年〜1989  小和田恒さんOECD大使


守谷慧さんの父親


1989年〜1992  フランス IEA事務局出向



守谷慧さんは父親の仕事の都合で幼稚園時代をフランスで過ごした。

父親は当時通産省の官僚で、フランスにあるIEA事務局に出向していたからだ。

IEAとはOECD加盟国で作っている国際エネルギー機関。

そして、当時、日本のOECD大使としてフランスに赴任していたのが雅子様の父親の小和田恒さん。


小和田恒さん夫妻と時を同じくして雅子様はイギリスのオックスフォード大学へ留学。

「皇太子妃最有力候補と騒がれイギリスにまでマスコミが追いかけた為か、学生寮にはおらず、両親の住むフランスのOECD大使館に滞在しているようだ」と報じられた。



当時について、評論家の八幡和郎さんがこんな事をアゴラで書いている。


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私のパリ在勤中に守谷氏も一緒(守谷氏はIEA事務局出向)でした。パリにはOECD事務局もあるので、当時は25人もパリに同僚がいたのです。

海外での役所仲間のお付き合いはそれぞれの場所の風土で違うのですが、夫婦連れで動くことの多いフランスの習慣に従い、一緒に集まることもありますので、守谷夫妻がパリ市の南隣にあるブーローニュ・ビアンクールに住んで慧さんはそのころ幼稚園児だったという記憶はあります。


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八幡さんも当時通産省の官僚で、守谷慧さんの父親の治さんの4年先輩。

フランスはパーティーが多く、夫婦で出席する事から、政府関係者の25人は家族とも顔見知りだった、自分も当時の慧さんを覚えている・・・という話を別の機会でもしている。








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