~竈門炭次郎~
竈門炭次郎君は私の推しキャラ。
とても澄んだ心の少年。
私の癖・・・
電話をしながらの癖。
左手で受話器を持ち
右手でペン。
そして
近くにある紙に落書き。
小さい頃は
ところかまわず色々なところに
落書きした覚えがあります。
リビングテーブルの下にもぐって
テーブルの裏面に沢山落書きして叱られた記憶が~
~竈門炭次郎~
竈門炭次郎君は私の推しキャラ。
とても澄んだ心の少年。
私の癖・・・
電話をしながらの癖。
左手で受話器を持ち
右手でペン。
そして
近くにある紙に落書き。
小さい頃は
ところかまわず色々なところに
落書きした覚えがあります。
リビングテーブルの下にもぐって
テーブルの裏面に沢山落書きして叱られた記憶が~
~鬼滅の刃 無限列車編~
前の列には、おじいちゃんトリオがいて~
↙ 笑ってしまいました。
先週、娘と久し振りに映画を観に行って来ました。
一番早い回で見たので映画鑑賞後はカフェ巡り。
ちょっと泣きすぎてしまい……
頭が痛くなりました。
でも大満足の内容&迫力に
感動。
個人的に世の中の上司がみんな
煉獄杏寿郎さんみたいであったら~と思いました。
~鬼滅の刃 お正月~
娘のリクエストで描いた
鬼滅の刃・お正月バージョン
それぞれのキャラカラーに合わせて、お正月の
雰囲気を描いてみたのですが~完成後、
キッチンで流し台に落としてしまいました。トホホ~
乾かしたけれども
最悪。
くしゃくしゃヨロヨロ
書き直しです。
鬼滅の刃
本当に凄い人気ですね。
でも、それで親子が仲良くなれたり楽しくなれるのなら
私は流行りにのっても、良いかなッと思っています。
コラボの、お菓子とかはmicah suzukiさんの、おっしゃる通り
可愛らしくて眺めているだけ?みたいな感じでした。。。
結局、1つは娘が食べて1つは…お供えに。
千葉ちゃんも、ついてきて~
( ´艸`)笑
~我妻善逸~
娘の推しキャラは
度を超えるほど臆病で自己評価の低い
我妻善逸【アガツマゼンイツ】君。
でも
一度、眠りに落ちると…
別人の様に強くなるんですッ!
~鬼滅の刃 練り切り~
娘と今…はまってしまっている
鬼滅の刃
私は、炭次郎【兄】と禰豆子【妹】との絆と
炭次郎の真っ直ぐな、誰【鬼】に対しても
変わらない優しさに心打たれてしまいました。
かわいい~
かわいすぎて食べれない~
今日、アップした写真は多分、父が外で写した
最後の写真かと思います。
勿論、病院や、お買い物には出ていましたが
写真を写した最後の外出は、この日が最後。
2019年5月12日(日)、新宿御苑カフェラ・ポエム。
この日、父は母の編んだ、お気に入りのセーターを着て
大好きなピザとパスタを美味しそうに食べていました。
とても、お天気も良かったので食後は私と主人、父と母
4人で御苑前を少し、お散歩。
まるで昨日の様に思い出されます。
1月7日(火曜日)、突然の入院となった父。
クリーンルームでは食事も無菌食のみ。
何も他の食べ物を食べさせてあげる事が出来ず・・・
病院食は、ほとんど食べてませんでした。勿論、激痛との
闘いがありましたから食欲が無くなるのは仕方がありません。
病院から許可が出ていたゼリー飲料、
〝朝リンゴ(ヨーグルト風味〟が
父の調子が良い時、美味しそうな顔で頂く唯一の品でした。
父と母の、お気に入りの写真。
ずっと父のベット脇に飾ってあった写真。
看護師さんに
この写真を自慢気に見せていたらしいんです。
本当に自慢の父と母です。
母は今、とても気丈にしています。
毎日の様に病院から帰宅すると泣いていた母とは思えない・・・。
父が亡くなって1週間後、
2月16日、DUKEリーダー谷さんに連絡を入れます。
それを確認してから私はブログにて父の訃報を公開。
そして
昨日2月20日プレスリリースされた事で皆様から
沢山の温かいコメントを頂きました事、
心から感謝申し上げます。
プレスリリースの内容通り、
お通夜、そして告別式は身内だけで行いました。
それは、とても穏やかで温かい時間で
母も、とても満足しています。
私の主人が写した遺影の写真。
皆様に見て頂きたく、不謹慎と思う方も、
いらっしゃるかとは思いましたが私の我儘で
載せる事にしました。
これはステージではない自宅での父の、いい顔です。
病室で
父が看護師さんに髪を洗ってもらい久し振りに、
とってもスッキリした顔をしていた時に
「パパ、イケメンだね」
と私が言うと
「あったり前じゃない、パパの子なんだから~」
って・・・
「それ違うよ。それを言うのは私が褒められた時に
言うセリフでしょ。もし言うなら
あったり前じゃない、お前のパパなんだから~だよ。」
と
2人で爆笑したのが約4週間位前の事。
もう一諸に笑う事が出来ないの?
父の事を少しずつ
お話しできればと思っています。
最後の時は身内だけで…温かく見送る事ができました。
お通夜、そして告別式、
【2月11日12日】
式場には父の魂・人生のすべてであった
デュークエイセス
黄金期の音楽が静かに流れ
祭壇には父の好きだった薔薇の花が
優しく父を包んでくれていました。
遺影の写真は
5年前のホワイトデーに自宅で写した写真。
【~2015年3月14日16時 撮影~】
父の優しく、そして少し自慢気な笑顔。
偶然なのですが、その時と同じセーターが
父が最後に着ていたセーター。
父の優しい笑顔が、もう見れないなんて
まだ、とても信じられません。
多分、私以上に母は・・・
今は気丈を振る舞っていますが、とても心配です。
~感謝申し上げます~
お悔やみのコメント、
又、他ブログから、こちらを閲覧して下さった方々に
父に代わって心から感謝申し上げます。
昨日はDUKEのレコードを母と整理しました。
レコード
懐かしいジャケット
私が見た事がない物もありました。
もう父の歌声が聞けないと思うと寂しい。
最後に父が歌ったのは
2020年1月25日
父の誕生日
父と母と私3人、病院のラウンジ
ジュースで乾杯。
ハッピバースデーを歌うと
父は、しっかりハモってきてくれて・・・
それが父の最後の歌声になってしまいました。
2月20日