令和2年2月9日
快晴
父
吉田一彦
84歳
多発性骨髄腫の再発により緊急入院。
そして約1カ月の科学治療の中、
2月2日前後に肺炎にかかってしまい…
2月9日(日曜日)の朝、静かに
父は息を引き取りました。
本当はブログを再開するつまりは無かった私なのですが
皆様には今まで沢山沢山ご心配をかけてきてしまいました。
ちゃんと父の事を、お知らせしなくては…と思いました。
父が亡くなって今日で1週間が経ちます。
まだ信じられない気持ちです。
父の最後の言葉は
「パパ、頑張ったよ」
もっと、もっと頑張ってくれなきゃ駄目だったのに
母を残して逝ってしまっては駄目だったのに
お悔やみのコメントを下さった皆様
心から、お礼を申し上げます。
本当に突然の事でありましたが
私達家族にとっては、肺炎で危篤になってから
亡くなるまでの1週間は、とても辛く長い時間でした。
多発性骨髄腫の科学治療で、これから長く戦う覚悟で
父も私達家族も、いたはずなのに…。
こんな風になってしまうなんて全く想像もしていませんでした。
2月18日
改めて、想いを致すところです。
相変わらず世の中は、変わること、変わらないことがあるけれど、動く、動いてます。
それでも、生きてく。
頑張ります
この様な形でブログを再開するなんて本当に思っていませんでした。DUKEを辞めてからの父は…魂を抜かれた様な日々を送っていました。それが私には、とても辛くで・・・。
母や私達家族の前では強がってみせる父が切なく感じていました。
Jessさんの中で、いつまでも父が穏やかな笑顔でいてくれる事を願います。
寂しいです。辛いです。お父様は私よりずっと年上ですが私の男声コーラス、なかんずく黒人霊歌とジャズコーラスへの扉を開けて下さったのはデュークエイセス、吉田一彦さんでした。
お会いしたのは楽屋や出演直前に身支度を整えていらっしゃるホテルのトイレだけで、しかも二言三言しか言葉を交わしませんでしたが、その声はあの甘い歌声と全く同じでした。穏やかな笑顔もお声と同じでした。
お父様が活躍なさった時代は過ぎ去りましたが、吉田一彦さんとデュークエイセスの偉業は長く記憶に留められるでしょう。もうあの時代が返ってこないとぽっかりと心に穴が開いた思いでもおります。
今夜はいくつものCDを聴きながらお父様のご冥福をお祈りします。
まだまだ元気でいてほしかったです。
本当に突然の事でした。
お身体の方は大丈夫でしょうか。
ご自愛下さいませ。
そして又、いつの日にか淋しさを乗り越えて…。
素敵な思い出にして心の中に閉まっておいて下さい。
沢山、父の話しがしたいです。
小学校の頃からミキのパパとして身近にいたデュークエイセス。
ママもお元気そうでなによりです。懐かしいなぁ。
ご冥福をお祈りします
今回も一番にコメント下さり嬉しかったです。
今は、まだ悲しみの中で母と支え合っていますが
早く笑顔で皆様と楽しく思い出話しがしたいと思っています。
お父さんの歌声は素晴らしかった
ご冥福をお祈りします
私が学生時代、それこそ小学生の頃から、テレビから聞こえるデュークエイセスの歌声は、昭和から現在までの進行形で堪能できるレジェンドとして、本当に楽しませて頂きました。吉田さんの甘く、優しい歌声、大好きでした。お身体の様子を見ながら、再びマイクを握られることも祈念していました。時折このブログで近況を拝見できて、お元気な様子に安堵していました。更新が止まった前後で私も病気等でバタバタして、ブログの閲覧もしなくなっていましたが…
楽しい思い出をいっぱい頂戴して、本来なら感謝の意を込めて、ありがとうございました、と申し上げるべきなのでしょうが、今は、自分の過去の一部がもぎ取られてしまった、そんな淋しさでいっぱいです。
私ごときでそうなのですから、ご家族の方は、と考えると本当に辛いです。
また落ち着いたらお父様の思い出話などを発信して頂きたいです。ご冥福をお祈りします。
御悔やみ申し上げます。
お疲れ様でした。
言葉、出ないです。
空の上から見守ってくださいね。
悲しみの中、報告してくださりありがとうございました!
ご無理をなさらずに。