叡空・「愛とは何か」、そして「自分とは何か」。
特に不幸だと「思わないのに」ふと
「そう想う」時、深い自己の探求に人
は向かうことになる。
『それ』は
心・『マインドの問題解決を「目的
としない」から。
餌を取り食べるために飛ぶカモメから、
『「生きるための」目的も持たずに、
より高く「ただ」飛翔する、探求に
向かう「ジョナサン」』のように。
自己が目覚めるには、「陰陽」2つ
の道がある。
『それ』は
ゴーダマ仏陀が、指し示す『智慧の道』と
キリストなど多くの宗教が指し示し
てきた『愛「祈り」の道』。
陰・智慧の道は『自分に意識を「限界
を超え、集中して観る」ことで、
「自我の殻を破る」自力ワーク』が中心
になる。
自分主体で恋に出逢う恋愛のような。
一方
陰・愛の道は、初めから『自己・人間
存在の限界を前提に「大いなる存在」に
自分の身を委ねる他力の道』。
これは、友人の紹介によって恋愛する
ようなもの。
どちらも歩む道が
☆☆☆☆☆『結果的』に、
目覚めの山頂に出逢うので
「愛に昇るルート」の違いがあるだけ。
自由恋愛でも見合い恋愛でも、
「恋愛の形態」は違えど『結果的』に
「パートナーと結ばれ、幸せである」
か否かが、焦点なのと同じ。
ただ
智慧の道は「現代においても」『日常
生活を送る在家では困難』。
それは
『自分の心を極限まで観る「覚悟と
超集中力」を必要とする』から。
『「自分だけの」意志力では困難』
なため、
ほとんどの人達は「肉体存在の」マスター
の導きを、仰ぐことになる。
祈りの道も、現代人は科学知識が、
進展して「知性優位の頭でっかち」なため、
『「自分の願いではない」無条件・
ノーマインドのハートの祈りに全託する』ワーク
は非常に困難になっている。
A M S 愛の錬金術は、
恋人をマスターに
★★★★★『何かの方法や誰かの導
きではない』、
「恋の苦しみ」で生じる意識集中力を
※『自分を観る瞑想』とし、
☆☆☆☆☆恋人との『出逢いの感謝を
※「内観して、祈り」に昇華する』ワーク。
だから
「人の」マスターに依存することなく、
特別な出家修行もいらない。
ただ
☆☆☆『愛する存在に「全ての想いに集中」』
するだけ。
やがて
『「意図せず、自然に」感謝の祈り
へと変わっている』。
無努力変容が、愛の錬金術だから。
合掌