★【指導者重要・理学講義】 ☆『愛は「どちらでも在り、どちらでもない」 真理の想い』

2024-07-17 22:10:37 | みんなのブログ、恋愛、人生相談、精神世界、超心理学、スピリチュアル
 叡空・仏教ではよく「刺さった毒矢をすぐ抜かない」例えと「川の水がある場所を教えても水を飲まない」例えが説法される。

 多くの人達は、この例えに✦✦✦『疑問を感じる眼を持っていない』。

 これは「コップの中の水を一度空にしないと新しい水は入ってこない」という✦✦✦過去の時代のマスター洗脳
前時代の存在の無智なるサレンダーの「教え」。

 AMS(アインシュタインモデル心理学)は違う道(TAO)。例えば、川の水がある場所に行っても「飲める水か確かめなかったら腹を壊す」かもしれない。

 毒矢はすぐに抜いて毒を出すことは必要だろう。しかし
「矢が刺さったからとすぐに抜いたら出血が止まらなくなる」可能性がある。

 それと同じで、コップの水を全て「空にしなくても
☆☆☆真水をコップに注ぎ続ければ」『コップの水は✧✧✧「自然に」全て入れ変わっている』はず。

 ただ『真水が注がれる勢い✡(本気)で水が入れ変わる(目覚め)スピードに違いが出てくる』が。

 あなた達は指導者、マスターと言われる人達の言葉を鵜呑みにし過ぎている。
 『それ』は、バクテティ、マスターへの全託、サレンダーと言われる『風の時代以前のカビの生えた教え』だ。

確かに、マスターに身を委ねることは✦✦✦✦『脳波同調が生じやすくなるから、自己変容しやすい』安易な方法。

 しかし、他者を目覚めに導くことができる☆☆☆『マスター、指導者としての智慧が生じることが困難になる』。

『それ』は、大いなる存在・自然、宇宙があなたに付与した☆☆☆☆☆『神の力、創造力と✧✧✧✧✧問いかける

✡「人間脳」(大脳新皮質)を眠らせたまま目覚めさせることがなくなる』からだ。

 禅マスター臨済の『「仏に遭ったら仏を殺し」、
「マスター(祖)に逢ったらマスターを殺し」という
例えは、☆☆☆☆☆『人間脳を覚醒させる
✡✧✧✧✧✧「左脳限界を超えるための問いかけ力」を
最大限界まで引き出す✡「公案の秘伝」』。

         『それ』は

 『あらゆる善・悪、良・否、いい・悪い
という☆☆☆☆☆「価値観を超えている」』。

『「どちらでもあり、どちらでもない」
✧✧✧✧✧非二元・愛そのもの』。

 無努力変容の愛の錬金法であるTAOだから。
                      合掌
 叡空拝