映画の冒頭はマーティン・スコセッシがローリング・ストーンズのライブでのセットリストが出てこないのでヤキモキしている様子などが暫く流れる、そのうちについにJumpin'Jack Flashのキースのリフで始まるいきなり大興奮!。Shattered,She Was Hotなどが続く、ジャック・ホワイトとのLoving Cupも今更ながら良い曲だと思う。As Tears Go By、自分達で歌 うのは恥ずかしいから最初は他の人に歌わせたとミックが言う、他の人なんて言わずにマリアンヌ・フェイスフルと言えば良いのにと思うが、キースのギターも良く、ジーンとしてしまう。クリスティーナ・アギレラとのLive With Me,カッコイイ曲、やはりボビー・キーズ。マディー・ウォーターズの曲として紹介されるChampagne & Reefer、バディー・ガイ登場、ギターも歌も素晴らしい、ミックもキースもバディーとの共演がハイライトだと言っている、キースはバディ・ガイに敬意を表して弾いていたギターをプレゼント。You Got The Silverロンウッドのアコースティックギターでのスライド、キースの渋い声と抜群に合ってる。最後のBrown Sugar,(I Can't Get No)Satisfaction、まで臨場感と興奮、本当に楽しめるライブ映画でした。
それにしても、ミックの動き、身体、そして歌はどう見ても撮影時63歳とは思えない、驚異的です。キースはヨタヨタしているようでしっかりしている、バンドの音はルーズだが強いグルーブ感、やはり最高のロックバンドでした。
Carole King "WELCOME TO MY LIVING ROOM TOUR-JAPAN 2008 HER BEST HITS"11月17日月曜日 名古屋白鳥センチュリーホール19時開演。キャロル・キング、素晴らしいコンサートでした。
開演前ヴァン・モリソン、ビーチボーイズ、サイモン&ガーファンクルが流れる。舞台にはリビングルームが設えてある、ライトスタンドが3ヶ所に、ピア ノ傍の1ヶ所が点燈してない、キャロル・キング登場、その1カ所を点燈。Song of Long Agoで始まった、Welcome to My Living Room,Up on the Roof,Tapestry,Smackwater Jack,It might as Well Rain Until September,Home Again,Will You Love Me Tomorrow,Love Makes the World,Sweet Seasons,Pleasant Valley Sunday,Chains,Natural Woman,I Feel the Earth Move,So Far Away,You've Got a Friend,The Loco-motion,等
リアルタイムでレコードを繰り返し聴いていたキャロル・キングが、10列目に座っている僕の目の前で歌っている、それだけで感動です。It's too Late印象的なピアノのイントロで始まる曲、スローだが強い音、You Make Me Feel Like a Natural Womanとみんなで歌う、キャロル・キングの歌は力強くソウルフルです。アンコールはSo Far Away,You've Got a Friend,The Loco-motion,感動感動でした。
キャロル・キングの飾らない歌声は、今回のルディー・ゲス、ゲイリー・バーのシンプルな音ともマッチして良かった。良いコンサートでした。
4月24日に日本版が出版されたので読んだ。
エリック・クラプトンの凄まじい人生が描かれている。
1945年3月30日サリー州リプリーの小さな家の2階の奥の寝室で生まれた。2歳のとき実の母パトリシアは、エリックを残しリプリーを離れた。エリックが6、7歳のとき、母と父であるローズとジャック・クラップが実際には祖父母だったということを知る。1954年エリックが9歳の時、実の母親が突然現れた、パットに「おかあさんって呼んでもいいの?」と聞き、完全に拒絶された。その時の憎しみと怒りが、その後の人生を決定付ける…。
家族に対する不安と戸惑いを音楽で忘れることができるのを発見、全身全霊で音楽にのめり込んでいった。バディー・ホリー、チャック・ベリー、マディ・ウォーターズ、B.B.キング、ロバート・ジョンソンたち…。ザ・ルースターズでバンド活動が始まる、フレディ・キングの「アイ・ラヴ・ザ・ウーマン」をソロで弾く。クロウダディクラブの土曜の夜のレギュラーバンドだったローリング・ストーンズが急にアンドリュー・オールダムと契約したので、ジョルジオ・ゴメルスキーは代わりのバンドを探し、ヤードバーズと契約。1965年ブルースブレーカーズ、1966年クリーム。クリームは1966年ウィンザーでデビュー、チャス・チャンドラーが連れてきたジミ・ヘンドリックスの「キリング・フロアー」の演奏に衝撃を受ける。アメリカでアーメット・アーティガンによって、アレサ・フランクリンの歌う「ビー・アズ・グッド・トゥ・ミー・アズ・アイ・アム・トゥ・ユー」で演奏。ザ・バンドの最初のアルバム「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」の素晴らしさに立ちすくんだと書いている。1968年ジョージ・ハリソンとの付き合い、9月にビートルズのレコードで演奏して欲しいと頼まれる「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」。1969年ブラインド・フェイス結成、コンサートツアー、サポートバンドのデラニー&ボニーに魅せられる。デラニー&ボニーの後に出るのはきついこと、彼らの方が格段に上だと思っていた様だ。畏敬の念を持っていたカール・レイドル、ボビー・ホイットロック、ジム・ゴードンでデレク・アンド、ドミノズ結成。デュアン・オールマンとのレイラ。
アルコール、ドラッグ、SEX、全てにおいて中毒症状、母パトリシアへの恨みを晴らすために自分を傷つけ、愛する女性を傷つけ、捻じれ切った精神と退廃の極みのただれた生活。
ただ、音楽に対する純粋さだけが失われなかった。
そして、2001年、56歳でメリア・マッケナリー(25)とサリー州の教会で結婚式を挙げ、ようやく暖かな家族と共に“安息の地”を得た、前妻は1988年に離婚したパティ・ボイドだった。
この本を読むと、私が、ヤードバーズ、ブルースブレーカーズやクリーム、ブラインド・フェイス、デラニー&ボニー、デレク・アンド・ドミノズ…同時代にレコードを聴いて、感動し感じ取ったことがクラプトン自身のその頃の気持ちにも通じていたように思える、それ程、全身全霊を掛けて魂の救いとして演奏していたのだと…。