2013/7/20
山中伸弥教授は中学高校時代(大阪教育大学附属天王寺中高)柔道部の部員で、顧問がN先生であった。山中伸弥氏は授業や柔道などを通して、N先生を慕っておられたのであろう。
だから、恩師N先生逝去の知らせを聞き、日々忙しいスケジュールにもかかわらず、通夜・告別式両日参列されたのであろう。N先生の「永遠の旅立ち」を式場で「お見送り」したかったのであろう。
堺市市長・堺市教育長をはじめ、多くの教育関係者や裁判所関係者・柔道関係者・趣味の仲間など、ほんとうに両日ともに多くの参列者であった。告別式に参列する人が少なくなる時代であるが、N先生の告別式は本当にたくさんの人が参列されていた。
ノーベル賞受賞の偉大な教え子を始め、俳優として活躍中の辰巳琢郎氏も参列されていた。医師として治療にかかわった教え子の方の、弔辞(3番目に読まれた)もあった。
堺市教育長の弔辞(一番初め)の後に、友人代表として(私が尊敬している先生のお一人)K先生の弔辞(2番目)が読み上げられた。
心のこもった内容に涙が流れて流れて…とまらなかった。弔辞の内容は、飾らない素直な心、別れに際しての悲しみが語られていた。その弔辞を読み上げる、いや、語りかける声に、万感の思いが感じられ、(私は)涙がとまらなかった。弔辞が終わった後も、涙が流れ続けていた。K先生の弔辞を聞きながら、涙をハンカチで拭きながら・・・、「N先生との別れ」ができたなあ・・・と思えた。
K先生、心のこもった弔辞、ありがとうございました。
告別式が終わり、霊柩車の出発までの間、少し時間があった。式場のホールで学校関係者などが久しぶりの再会との雰囲気がただよっていた。再会した人たち、みんなお互い談話をして霊柩車の出発をまっていた。
そのとき、短時間であったが、私は山中教授と話をすることができた。中学校時代の柔道部の話題だった。私は山中教授を教えたことはなかったので、話をするのは今日が初めてであった。初めて話をする方であったが、相手への心づかいがたいへん優しい方だな、と思った。柔道の話の後、「身体に気をつけられて、研究、がんばってください」と声援を送り、話は終わった。
偉大な方と話をする機会を与えてくださったのは、まさに「N先生」である。
N先生、いつの日か、私もそちらの世界へ旅立つ日が来ます。
ひょっとしたら、そちらの世界で、「柔道部顧問をいっしょに」と誘っていただけるかもしれませんね。その時は、また、よろしくお願い致します。
合掌