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人の風景 emiko life 267話 265話の続き希望って・・?

emikolife  265話は『ニューシネマパラダイス』の中の主人公サルヴァトーレと母マリアの会話の場面について、話題にしました。

この265話の評価として「いいね」を押してくださった以外に、「続き希望」をクリックされた方もおられます。

続き希望って、どんな内容の話題を期待されるのかなぁ・・

確かにサルヴァトーレとマリアの会話を深掘りしていくと、人生や人間の本質みたいな部分に触れていくことになるので、

「あぁ、難しい話になってしまうので、後はこの映画を鑑賞してください」

と話を終わりにしています。

この話題をもっと続けてと言うことでしょうか?

そうであれば、もう少し、この場面に押し込められている心の本質みたいなものに対する、私の考えをおしゃべりしてみようか・・と、思う訳ですが。

この映画が表現していく多くの場面は、横において置くことにして、この二人の会話に表現されている心についてだけ考えてみます。

人生に立つ自身の年齢を基点にして

「年下の人を理解する言葉として、自分が来た道と言い、年上の人を見て、自分が行く道」

と表現します。

ーー若い人を見て非難する言葉が出るときは、自分も同じように未熟だったことを思い出しなさいーー

ーー高齢による衰えや人間性の低下は、将来の自分の姿に繋がるものだから、優しく受け入れようーー

このような言葉は、人として、万人が理解できる姿を表現しています。

でも、私たちの心の流れには、この家族を含めた他者との心の有り方の他に、もう一本の心の基盤になる、誰かを恋する心の流れがある訳です・・よね?

この言葉には、賛否があるかもしれません。

「誰かを愛して、家族になり、家族愛に満ちれば、誰かに恋するなんてあり得ませんよ!」

って、本心から言われますか?

「それは、恋ではなくて性欲でしょう」

って、おっしゃいますか?

そこなんですよね。いろんな愛情の形の中にあっても、恋する心はスッと自身の心の内を突き抜けている。

まさにイメージ化され、表現化されたハートを矢が射抜いているイラストは、恋ですよね。

この映画で、サルヴァトーレは、若い時に愛していた女性への思いが、30年経っても、なにも変わっていないことに打ちのめされます。

初老になっても別れた女性を恋しく思う心を見つめ、夫を亡くし、独り身で通したマリアに、

「だれにも恋せずに・・・」

と聞きます。

ここですよね・・

「ニューシネマパラダイスの真実性とタイトルにした訳がここですよ」

人の心の真実の一面が、言葉として表現されていますよ、って言いたかったのです。

人は、いくつになっても恋をすることに、誰もが知らないふりをしていますよね・・。

だけど、恋する心が、笑顔やうきうきした軽やかな感情を生みだしてくれることを、心地よいと感じています。

初老になっても、高齢になっても、恋する心は、若い時と変わらずにあり続けていきます。

いつまでも、誰かに恋する自分でいたいとは思いますが・・

私がこれから行く道、高齢期の心はどの様になるのか・・

この話題を、先ゆく人に聞くことは、なかなかできません。

年と共に老化を感じながらも、内面に恋する気持ちがあったら、苦しいでしょう・・と思います。

そうなると、自分を否定し、無力だとし、魅力のない老人だと位置づけることで、恋する気持ちを消していく、忘れていくことになるのでしょうか?

ここまで気づけば、そうならないための心構えで生きていくことは、出来ますかねぇ( ^ω^)・・・。

あぁ、やっぱり難しい話になってしまって、とりとめがありません。

高齢期の心理については、まだ未知のこととして、おしゃべりを終わります。

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