私の中の文学などと言ったら大げさだなぁ‥
今は本をがむしゃらに読む、ということは無くなりました。新聞さえも読まなくて、インターネット記事を読んで、世の中の動きを知った気になっています。
マンガ好きの小学生が終わるころから、図書館好きに。読むものに偏りは無く、いろいろ手にしていましたが、中学生のある時、私の読書方向を決定する本に出会いました。その本は古典文学の『落窪物語』。この物語の内容が、まだ、純真な私には衝撃的でした。男女というものの関係がどのようなことで成り立っているのか、ええ、なにぃ~ って感じです。
それから、知らないことがある、何かあると心が、人となりの深淵に引きずり込まれていきました。人間とは?と答えを求め、日本文学から西洋文学まで読みました。高校生になり、『チャタレー夫人の恋人』など、恋愛小説を読むころには、性愛だけでなく、女性がおかれた社会的困難や女性差別にも気づかされました。
そんな高校生としての悩みの中で、ボーヴォワールの著書『第二の性』に出会ってしまいました。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉は、私の中で渦巻き、生活の中で感じていた不自由さなどが渦の中に吸い込まれていきました。
その後の私は、個としての私を確立しようとあくせくしました。上手な生き方ではありませんでした。
30才になったころ、子育てで自分を見失いがちな日々の中で、同人誌を主宰している方の開いた”文学学校”に参加。読む側から表現する側に立つきっかけ作りの活動でした。そこで初めて短編「星にねがいを」を書きました。
教えられた起承転結に基づいて書いた拙い文章の「星にねがいを」。この短編を書くことによって、私の原点にある悲しみを吐き出すことができました。
父と争い、泣きながら川辺りに走る母を追いかけた、幼いころの私の悲しみ。この悲しみを吐き出す方法が見つけたくて、本を読んでいたのかもしれません。
母のように泣かない人生、私らしい姿を求めた私の文学。本が何時しか、経営や成功するためにといった内容に変わり、心の在り方も変わってしまいました。
でも、今では、悲しい時などに呼びかけるのは「母さん、父さん」。もう、目を開けないでと星にねがった父にも、恋しさを感じるようになりました。
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昭和59年12月20日発行 発行所:河床の会
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花が沢山咲いて、写真を撮るのに無中です。😊
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