今日も、emikolife106話の住井すゑさんの話題に続きます。
この住井すゑさんの言葉は、私が、”病医院わかる健康情報誌『ホスピタウン』”(廃刊)の編集者だった時に取材したものです。
見出しの画像は、emikolife51話でも掲載しています。私が、最も印象深く、大好きな写真です。今日は、再度見出しにアップします。
この写真に見ることができるお茶うけに出た”そら豆”。このそら豆のおいしさに感動して以後、そら豆は、私の大好物になっています。
今日は、その部分の記事を抜粋して、話題にしたいと思います。
==抜粋文章==
・・病気知らずきた住井さんにとって、土に触れる生活が、体にもよかったと?
「健康法ですね。なぜかというと土に触れる生活は、人間の法則なんです。法則とは自然に成り立つことであり、命の原点です。法則から外れると、人間は病気をします。現代の多くは、法則を外れて人為になっています。人為とは、自然ではなく、人がたくらんですることです。物事は、法則か人為かのふたつに分けられます。どんなにまともに見えても、分析すると、人為という人間の欲望が見えてくるんです。だから、自分がやっていることが法則か人為か、私は毎日考えています。法則に従って生きている限り、病気はしないと思います。昔の中国人の知恵には、本当に脱帽します。人為を一字にして、これを偽りと読ませる。人が為すことにはどこか嘘がある。人為を偽りとした中国人の深い洞察には頭が下がりますね」
・・作家活動や講演会などで多忙になったが、牛久に住んで以来、農作業は今日まで続けている。
「自分で食べる野菜はつくっていますよ」
・・テーブルには、お茶と一緒に茹でたそら豆が出ている。さきほど畑から取ってきたばかりのみずみずしい豆だ。皮が柔らかくて当然のことながら緑色だ。とてもおいしい!こんなにおいしい野菜を、住井さんは毎日、食べているんだ。畑では、朝まで降っていた雨が、白い湯気に変わって蒸発している。土は息づき、木々は緑に覆われ、鳥が鳴いている。
・・92歳の今、住井さんにとって「生きる」とはどういうことなのだろうか。
「私は90歳を過ぎてから、命の不思議さというものがよーくわかってきました。自分でも解けないのが命です。自分のものでありながら、その命がいつまであるのか、計算できない。これはもう流動する時間そのものですね。この世で時間の流れほど不思議なものはない。どんな難問題でも、時間が解決してくれると昔から言われてきました。時が経てば悲しみも消えるし、富貴も時がくれば崩壊する。この時間の存在というものに、いつどのようにして気づくかということが、人間の大問題なんですね。時間の存在に気がつけば、命の大切さを実感します」
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「生きる」とは、時間の流れそのものと住井さんは言っています。時間がプラスされていけば、命はマイナスされる逆計算がなり立つ訳ですね。
日々、その時、その時を大切に生きることが、命を大切に生きることになるようです。
さらに、その時々を楽しく思えるなら、幸せな人生を送っていると言えそうです。
明日は、男性の「生きる」を、荒松雄さんの言葉の中に探してみたいと思います。
😇 苔玉教室のみなさん。
先生の年の数ほど、焼き鳥屋さんが串焼きをプレゼント。
先生だけでは食べつくせない70+?本を食べる会でした。
誰かに繋がっている方が楽しい‥‥よね😊