emikolife26話で西都原のこと、emikolife71話で画家 弥勒祐徳先生のことを話題にしました。
今日は川魚のことを思い出してしまいました。
私が育った地域には、二級河川「一っ瀬川」が流れています。村の脇には堤防が長く長く造られていて、「台風銀座・宮崎」の洪水による被害を防いでいました。
一っ瀬川は、奥地に九州山脈があり、1年中、山々を水源にした豊かな水流がありました。川岸や中洲の砂地には、いたるところに湧水が出ていました。水の透明度は高く、川底の石を見つめていると、キラキラと光線が揺らめいて石に届き、見飽きることのない美しさでした。
一っ瀬川に住んでいた川魚に似た手長エビ(ダクマエビと言っていましたが‥)と
ヨシノボリ(ゴモと言っていました)
エビを獲るのは得意でした。特に雨が降り出しそうな時、エビは岸辺に上がってきます。そこを狙って、エビの後ろから、専用の網で捕まえます。
他に、ウナギやナマズ、アユ、フナ、コイ、メダカ、カニ、アメンボ等々、多種類の生き物が住んでいました。今、激減のウナギの稚魚も中洲の浅瀬で見つけることができました。
もっぱら、私はカッパと言ったところです。お転婆なカッパです。
一日中、川で過ごしていました。川で泳いで、魚をとって、兄の釣り竿を持ち出して魚を釣って、潜って川底の石をとって‥冒険と遊びの場でした。
この宝の場所を失ったのは中学生の頃でした。
九州電力によるダムの建設が始まったのです。一っ瀬川流域の子供から大人までの人々の生活の場が、ダムの建設という名目で失われました。今でも残念でなりません。
建設現場から流れてくる濁流は、建設が終了した時には、川底のキラキラ輝いた石の上に土を運び、あらゆるところから湧き出していた湧水を見失わせていました。
「なんで九州電力に、これほどの自然を壊す権利があるのだろう」と思いました。
「ダムによって作られる電力の必要性はわかるにしても、犠牲を払ったダムが生み出す電気は、お金を払って使っているでしょう。何故??」
壊した自然は、元には戻りません。
「なぜ、私たちは一っ瀬川の生活を失ったの‥」と思ったのは、決して私一人ではなかったことでしょう。
一っ瀬ダム
このダムのもっと奥に行くと熊本に抜けていきます。
😁 花の名前?