見出し画像

hitonohuukei

人の風景 emiko life 79話  宮崎県西都市は私の故郷(2)

emikolife26話で西都原のこと、emikolife71話で画家 弥勒祐徳先生のことを話題にしました。

今日は川魚のことを思い出してしまいました。
私が育った地域には、二級河川「一っ瀬川」が流れています。村の脇には堤防が長く長く造られていて、「台風銀座・宮崎」の洪水による被害を防いでいました。

一っ瀬川は、奥地に九州山脈があり、1年中、山々を水源にした豊かな水流がありました。川岸や中洲の砂地には、いたるところに湧水が出ていました。水の透明度は高く、川底の石を見つめていると、キラキラと光線が揺らめいて石に届き、見飽きることのない美しさでした。

 
  一っ瀬川に住んでいた川魚に似た手長エビ(ダクマエビと言っていましたが‥)と
   ヨシノボリ(ゴモと言っていました)

エビを獲るのは得意でした。特に雨が降り出しそうな時、エビは岸辺に上がってきます。そこを狙って、エビの後ろから、専用の網で捕まえます。
他に、ウナギやナマズ、アユ、フナ、コイ、メダカ、カニ、アメンボ等々、多種類の生き物が住んでいました。今、激減のウナギの稚魚も中洲の浅瀬で見つけることができました。

もっぱら、私はカッパと言ったところです。お転婆なカッパです。
一日中、川で過ごしていました。川で泳いで、魚をとって、兄の釣り竿を持ち出して魚を釣って、潜って川底の石をとって‥冒険と遊びの場でした。

この宝の場所を失ったのは中学生の頃でした。
九州電力によるダムの建設が始まったのです。一っ瀬川流域の子供から大人までの人々の生活の場が、ダムの建設という名目で失われました。今でも残念でなりません。

建設現場から流れてくる濁流は、建設が終了した時には、川底のキラキラ輝いた石の上に土を運び、あらゆるところから湧き出していた湧水を見失わせていました。
「なんで九州電力に、これほどの自然を壊す権利があるのだろう」と思いました。
「ダムによって作られる電力の必要性はわかるにしても、犠牲を払ったダムが生み出す電気は、お金を払って使っているでしょう。何故??」

壊した自然は、元には戻りません。
「なぜ、私たちは一っ瀬川の生活を失ったの‥」と思ったのは、決して私一人ではなかったことでしょう。

       
        一っ瀬ダム
このダムのもっと奥に行くと熊本に抜けていきます。

           😁 花の名前?

  
        

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「emikoの風景」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2023年
人気記事