lお遍路に行き、何時間も歩いてようやくたどり着いたお寺で、まずは身を清めお経を唱えると
心身とも清められた気持ちになる。
その際に読経するのは般若心経である。
般若心経は262文字で日本で一番知られてるお経である。
そのお経を読むことも難しく、前回のお遍路の際は団体さんの後ろにて、おそるおそる声をだして練習した。
また読めば内容が理解できるかといえば、なかなか難しい。
ただその内容を少しでも理解したうえで読経したいと思い解説書などを読んでみたが、それがまた難解でとても
理解できるものではない。
ただ自分なりに理解した概要はつぎのようなものらしい。
観音さまが「自分が存在するということはどういうことなのか」という問いに、つぎのように答えた。
「体」は存在するものでなく、いろいろ集まってできた「物体」を「体」と呼んでるにすぎない。
「体」というものは固有の実態が存在してるのでなく、何かが集まった「状態」にすぎず固定的な実体がない
「空」という性質をもってる。
あらゆる存在はいろいろなものが集まって形をなし「生きる」という活動をしてる。
「命」も実体として存在するものでなく、「空」という存在のなかで、変化を繰り返してるだけである。
だから老いや死というものも存在しない。それは人間が概念として存在するもので、実際には「空」である存在が形を変えて
いるだけである。
実際に妻を昨年亡くなしてみて少し理解できる心境である。
妻の「体」ななくなったが形を変えてどこかで存在してるような気がするのである。
般若心経を無心に唱えるような気がする。
心身とも清められた気持ちになる。
その際に読経するのは般若心経である。
般若心経は262文字で日本で一番知られてるお経である。
そのお経を読むことも難しく、前回のお遍路の際は団体さんの後ろにて、おそるおそる声をだして練習した。
また読めば内容が理解できるかといえば、なかなか難しい。
ただその内容を少しでも理解したうえで読経したいと思い解説書などを読んでみたが、それがまた難解でとても
理解できるものではない。
ただ自分なりに理解した概要はつぎのようなものらしい。
観音さまが「自分が存在するということはどういうことなのか」という問いに、つぎのように答えた。
「体」は存在するものでなく、いろいろ集まってできた「物体」を「体」と呼んでるにすぎない。
「体」というものは固有の実態が存在してるのでなく、何かが集まった「状態」にすぎず固定的な実体がない
「空」という性質をもってる。
あらゆる存在はいろいろなものが集まって形をなし「生きる」という活動をしてる。
「命」も実体として存在するものでなく、「空」という存在のなかで、変化を繰り返してるだけである。
だから老いや死というものも存在しない。それは人間が概念として存在するもので、実際には「空」である存在が形を変えて
いるだけである。
実際に妻を昨年亡くなしてみて少し理解できる心境である。
妻の「体」ななくなったが形を変えてどこかで存在してるような気がするのである。
般若心経を無心に唱えるような気がする。