7月24日、晴れ。
この日から一週間の夏休み。
羽田空港から午前8:30発の伊丹空港行きに搭乗。
(富士山)
予定通り9:30に伊丹に着いた。
いつもは冬に利用する18きっぷを使って今回は山口県の徳山に行ってきた。
「出口のない海」という映画を見た方はご存知だと思うが、徳山湾に大津島という小さな島がある。
太平洋戦争末期に海上の特攻兵器「回天」の基地があった島だ。
神奈川と山口の往復ではもったいないので、ついでに島根や鳥取も周ることにした。
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伊丹空港からバスでJR伊丹駅に向かう。
片道200円
伊丹からJR福知山線で尼崎へ移動。
107名の尊い命が奪われた福知山線脱線事故を思い出し、失礼ながら走行中の列車から黙祷をささげた。
尼崎からは山陽本線でひたすら西へ。
まずは姫路で乗り換え昼食を摂る。
乗り換え時間があまりないので駅ビル内で明石焼きをほおばる。
「アーチチチッ」口の中を火傷した。
猫舌であることは解っているが、アツアツの美味しいうちに食べてみたいのだ。
最終的には後悔するのだが・・。
姫路にきたら姫路城が見たいが、もう時間がなかった。
とりあえずホームに上がった。
「およよ!」遠くに見えるは姫路城ではないか!
望遠ズームで撮る。
このカメラのズームは望遠側350mm。スゴイ!
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久しぶりに見た、このカラーリング。
岡山と瀬野で乗り換え、三原、広島を経て午後8時過ぎに徳山に到着。
腹が減ったが店が開いてなかった。
駅の立ち食いうどん屋で空腹を満たした。
白だしの上品な旨みの中にコクがあるスープ。
店のお母さんに尋ねると、昆布・カツオ・アゴで出汁をとっているとのこと。
この時間はもう船がないし真っ暗なため、この日はココで一泊する。
亀の井ホテル
一泊朝食付き3,500円(安!)
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7月25日、雨。
朝から大雨だが7:40発のフェリーに乗船するため、早めに朝食を済ませた。
ホテルから徳山港まで徒歩10分程度のためタクシーを呼ぶか悩んだ。
港に着いた時点でスニーカーはぐしょぐしょになった。
予定通りのフェリーに乗船。
途中刈尾港を経由し目的地である馬島港までは40分。
大津島の馬島港に到着。
大きな看板が出迎える。
案内表示に従い回天記念館を目指す。
カニも歓迎ムード。
近づくと隠れてしまった。
記念館に到着し敷地に入ると戦没者の墓標が並ぶ。
墓標の一つには献花がされていた。
ご遺族の方だろうか数日前のものと思われる。
手を合わせ一礼した。
記念館へ入館しようと近づくと館内の照明が点灯しておらず真っ暗だった。
しばらくすると建屋の横から初老の男性が現れ「今、ライトつけます」とのこと。
確かにこんなに朝早くから訪れる観光客も少なかろう。
館内はパネル展示とビデオ放映そして遺品や遺書が並ぶ。
映画「出口のない海」セット模型
館内は遺影以外は撮影可能だ。
記念館の外には「回天」の複製模型が展示されている。
模型とは言え鋼鉄製で兵器の冷酷さを物語る。
回天は人間魚雷とも呼ばれ戦争末期に”天を回らし戦局を逆転させる”という願いを込めその名がついたという。
結局”天を回らす”ことは出来なかったのだ。
残ったのは戦地に散っていった若者達の無数の遺書と遺族の悲しみだけだった。
国に報いここから旅立っていった戦士達に哀悼の意を表す。
カニに見送られ記念館を後にした。
港へ戻る道を途中で右折し海沿いの道を行くと、遠くに回天発着桟橋が見えた。
桟橋まで行ってみる。
トンネルを抜けると、桟橋はすぐに現れた。
クレーンで海面に降ろし海面に開いた窓から出撃したのだろう。
(桟橋)
馬島港に戻り10:22の高速船で徳山港に向かう。
遠くに船が見えた。
程なく接岸し、乗船するとすぐに出航した。
乗船客はまばらだったが、なぜかデッキに行きたかった。
船が港を離れる。
見送る者は誰も居なかったが、犠牲になった若人達の冥福を祈りつつ、心の中で大津島に手を降った。
(船のデッキからの360度撮影)
つづく
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FUJIFILM F300 EXR
口の中はヤケドしたけど大量の水を飲んで冷やしたので、すぐに良くなりました。