【日本建国史】は河内の八尾(ΙΑΩ)から始まった

『日本(ヤマト)・神話』が創作されたのは3世紀~4世紀頃の事でした…

伊万里(佐賀県)から始まった【日本・建国史】

2015年05月25日 21時54分20秒 | 真実探究
…2015年05月25日(月) 10時59分44秒NEW !
テーマ:日本建国史学


…佐賀県の伊万里地域は【初期・ヤマト民族】の活動拠点であった…
2015年 05月25日 10:48(全員に公開)

…【逸書・三笠文】(『秀真伝』の姉妹書)に、【脱ユダヤ教・秘儀教義宗団】の人達が極東の日本列島へ移動して来た意味言葉的な隠語が記されている。『秀真伝』文書に関しては「アメーバー・ブログ」に書いて随時投稿しています。(次の矢印をドラッグしてクリック検索の事)
http://ln.is/ameblo.jp/erusaremu4/9VJyq …(アメーパー・ブログ記事)

…『日本神話』とは、【ノアの洪水年・数値】(創世記)を以て、【武天皇・即位1年目】(辛酉年)と成す歴年(倭暦)に、其の【創世記年・数値】を接続させる為に考え出された創作的な物語で在る。

…我が国に於いては石器時代に始まる【腰岳】(別名…伊万里富士)の【黒曜石】は良質だった事から、発見されている、其の【腰岳・黒曜石】の分布図を見れば、九州は勿論の事、東は、大阪付近(四国を含む)迄。南は、沖縄。北は、朝半島南部の方からも発見されている。尚、佐賀県の伊万里地域から発見されている【大型・甕棺墓】遺跡は、吉野ヶ里遺跡に先立つ【初期的・大型甕棺墓】と考えられ。

…然るに、古語に言う【カモ】(鴨)と【カメ】(亀)の語意は、当時の船の大きさや早さを意味する用語としても用いられいた。つまり、【甕(カメ)棺】の発想は、【人の亡骸 → 魂】に起因する。つまり、【亀船】(甕船)を用いて「人の天へ送る発想」は、古代エジプト文化」に起因する。因みに、古代エジプトのピラミツト近辺から、当時の国王の墓が発掘されていて、「死後に於ける天への乗り物」として造られていた事が解っている。其れは、【大型船】の部品で在り、組み立て方式に成っていた。然るに、我が国からは遥か西域に位置する古代エジプト文明を知っていた人達が移動して来て、【元始・ヤマト国家】を建国したので在った。其の時代は、我が国に於ける先史時代(律令以前期)で在る。

…古代期に於ける日本列島の地形を考え、又、其の当時の交通手段を考察すれば、日本海流域の地域が、我が国の表玄関に位置していたので在った。然して、日本の方面から朝鮮半島へ出て行くには、海流、及び、偏西風等との風向きを計算する必要が在る。然し、古代期の我が国に於いて、其のような航海術が養われたと成す記録は皆無です。然し、神功皇后の朝鮮半島への渡航準備は、予め、予定していたかの如く順調に、其の準備が行われていた事が伺いしれます。其の過程で、唯1つ、「ワイタメサダム」(秩序と訳されている)と『現存・日本書記』に記述されていた。つまり、此の「ワイタメ」と言う語意こそが、「古代エジプト文化」に結び付いている言語(単語)だったので在りました。

…四季の天候、海流、等とを計算しての大型船に因る渡航術は、太古の昔から、地中海沿岸文化圏の先進国(例えばギリシア人)の人達は経験(海の民等)の中から学んでいたので在りました。


…【日本建国史】と言う学問は、現在の我が日本の国には全く存在しません。然して、現在に言う【国学】とは、「国語の学問」(文法等の学問)の意味であり、「言語学」とも呼ばれています。では、「日本人とは何ぞや?」と言えば、其れは、「日本建国史に関わる問題」であります。大昔は未だ、世界的規模の交流が無かった時代に在っては、自国の建国起元等に関しては無関心だったであろうが、特に、今世紀(21世紀)は、「世界調和の時代」等とされ、其の「21世紀の入り口付近」に現在は位置しています。然るに、「一年の計は元旦にあり」と言うが如く、世界の人達との交流が盛んに成るに従って、各々の国の独自性も顕著に表面化してきます。其れに埋没しないが為にも、先ず、「日本人とは何ぞや?」と言う問いに対し、ハッキリと諸外国の人達に説明出来る学問を、今からでもしっかりと身につけて置く必要が在るのではないだろうかと、私は思う次第であります。




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