今週はとても忙しかったです。
コロナ感染者数が増えてきたため、今後の仕事に変更があって調整に奔走していました。
でも残業代も稼げたし、先週末の思い切った浪費でけっこう気分は上がったままでした。
Gotoイートのチケットでお昼を外食にして栄養補給ができたのもよかったのかもしれません。
ただ、チケットの減りが早くて追加で買ってしまいました。
おいしいものを食べたり、お気に入りの恰好で過ごすのって、前向きに生きていくのに必要なことだと思います。ただ、あくまで借金ではない自由に使えるお金があってこそ。そこが私にはできないことで、やはりこの1週間、心の片隅でひっかかっていました。
以前から、ブログで過去を整理したいと思っていましたが、今週末は、私の浪費癖と借金地獄のきっかけを振り返ります。
原因は、この2つでした。
1.人間関係がうまくいかない
2.仕事への不満
大学時代は奨学金を借りたとはいえ、おかげで金銭的にゆとりのある生活をしていました。
奨学金は月に5万円超もらっていました。仕送りは10万円。これは東京で一人暮らしをするには少なかったと思いますが、両親にはぎりぎりの金額だったと思います。そしてバイト代の収入が少なくても5万円、多い時は20万円近く稼いでいた月もあります。
そのせいか、社会人1年目の初任給の手取りが少なすぎて途方に暮れた記憶があります。
氷河期世代なので、就職できただけでもラッキーなのですが、もちろん入りたかった会社は全滅していました。東京にいたかったけど、やむなく地元で就職しました。
就職した企業はまあまあ有名な会社で、初任給も地元では良い方でした。それでも私の手取りは15万円くらいでした。
実家から通えない距離だったので、一人暮らしは継続、当然仕送りはもう見込めません。
少ないお給料をやりくりできればよかったのですが、職場がけっこう派手で、みんなおしゃれだし飲み会や食事会も多く、私もそういうのが好きなタイプなのでいつもお金は足りず、学生時代に貯めていたバイト代は数か月で消えました。
そして社会人になってからも私は人間関係で苦労しました。これが借金生活を加速させた最大の理由でもありました。
まず、学生時代同様に女子には全く好かれませんでした。
お局様連中からは派手にいじめられましたが、同期のイジメはちょっと違っていました。
みんな基本は仲良しなテイでいてくれますが、なにかにつけてハブられる、馬鹿にされることが多かったです。褒め殺しとでもいうのか、褒める振りをして実はバカにしているというか落しているなぁと感じることが多く、かえって一緒に過ごすのが苦痛で表面上の仲良しが気持ち悪いくらいでした。
中でも同じ部署に同期の女子が一人いましたが、影であることないこと言いふらされて、知らない間にまわりから嫌われてしまったりもしていました。
その子が私を嫌う理由はすぐにわかりました。
同期の女子のほとんどは短大卒で私を含め大卒女子は2人しかいませんでした。
なかなか古い体質の会社で、平成になって大卒女子を雇うようになり、経営陣は「大卒女子を採用して活躍の場を広げている」というアピールをしていました。そのとばっちりで、新入社員代表として地元新聞や広報誌に載ったり、地元のテレビ番組に出たりするのは大卒女子だけ、私の代ではなぜか私だけが抜擢されることが続きました。
こんな状況で周りの女子に好かれるはずはありません。同じ部署にいる同期はすごく綺麗な子で、アナウンサーになりたくて短大と平行して専門学校にまで行っていたというから立ち居振る舞いや話し方からマスコミ向けだし、人前に出るのが大好きな人でした。
前にも書いたけど、いじめる側の人間には必ずその人自身に問題があります。
彼女はすごい美人だし、お金持ちのお嬢様だったけど、ご両親との仲が良くなくて、愛情をすべて年の離れた弟と妹に注がれていたのがコンプレックスだったようです。これは本人から聞きました。それに、お家に遊びに行ったことがありますが、広い豪邸で通いの家政婦さんがいるというのにゴミが散乱してて驚いた記憶があります。
その子は、上司や同僚に、私が自分の学歴を鼻にかけて会社の批判をしているとか、給料に不満を持っているとか、上司やお局様をバカにしているとか知らない間に吹き込んでいました。それを知ったのは入社して2年くらい経ったあと、彼女が他の部署に異動した後でしたが、入社半年後くらいから上司がよそよそしくなり、お局様連中にはなにをやっても怒られたり、理不尽なことで責められたりしていました。
次第に同期の集まりでも、会社の若手社員の集まりの中でも浮いた存在になっていくのが辛くなって、人前に出ていくのが嫌になり、飲み会や社内イベントへの参加は遠のくようになりました。
とても長くなりそうなのでパート2へ続きます。
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