おとうさん、おかあさんへ

2018.2.10 父死去。2015.11.14 母死去。子どもたちに尽くしてくれた両親に感謝したい。

父上が昭和60年(1985年)に「21世紀の敏行」へ宛てた手紙

2012年06月30日 | 長男
この手紙は、昭和60年に父上が書き、
21世紀(2001年初旬)に敏行が受取った。
現在の私(敏行)と同じ、父上57歳のときの手紙である。
以下、原文。

昭和60年4月8日 晴れ
敏行様     父 安治57才

今日はよく晴れてよい天気になった。美代子は隣のオバアチャン(伊藤ヒデ)を
連れて京都へ1泊で本願寺参りで親孝行をしている。
京子は、4月11日から金沢大学医療技術短大2年生復学のため
1日から金沢へいった。今日は内科へいっている(診察)予定である。

直幸は4月5日から天白電話局営業課勤務を命ぜられ今日も私と共に
6時起床、車で出勤し、勉強会があるのでおくれるとのことである。
午前9時から10時、恵美ちゃんのFM愛知 ラジオ放送をきいた。
私は長くて短かった42年間の電電公社生活にピリオドを打った。
実質的には2月13日局付けで休みに入り4月5日辞職承認の
辞令が正式に出た。伊勢から名古屋へ出て来たのが昭和28年。
この家(高蔵寺)へ移ったのが丁度10年前である。
丁度60年4月1日、電々と専売が民営化されNTT日本電信電話株式会社に
なった。したがって退職辞令は株式会社名になっている。
郵便局で科学万博ポストカプセル2001「21世紀のあなたに
届ける夢の郵便」を扱っているのでかきとめた。昭和76年1月1日
以降に配達される。みんな元気で正月集ったとき読むことが
できればこの上もない幸せであるが、お父さんが73才、お母さんは
70才、あなたが46才という年令である。平均寿命から
すれば生きられる年令である。直幸は11月23日あなたと
同じ逓信会館で県さんと挙式予定で社宅へ
入る予定である。京子は病弱のためあと2年短大へ行かねば
ならず、お母さんが松坂屋(3月20日退職)をやめ金沢へ行き
京子の身の回りを見る予定。土日は家へ帰って来る予定
である。何とか卒業させたい一念である。
お父さんやお母さんがいなくなれば、病弱の京子はあなたの世話に
なるだろう。よろしく面倒みてやってください。
医学が発達している昨今だから16年後には完治しているかもしれない。
あなたは、リクルートへ移ってまだ1年である。結婚して3年を
迎える。
お父さんも退職金と年金でお母さんとふたりはなんとかやっていけると
思う。(一応の計画は立てたが・・・)
近くに憩いの家が建設された。まもなく開放されるものと
思うが、この郵便が届くころ(2001年)は元気で生きていれば市の憩いの家
に我々いるかもしれない。が、正月くらいは直幸も京子も集まって
お祝いできるように部屋も拡大する予定であり、この夏には
工事をしてもらう予定でいる。お母さんと3月22日~24日まで
信州へ旅行したが今夏は北海道旅行を考えている。
結婚してからこれらしき旅行はあまりせず仕事1本で
進んできたきらいがある。
これからは、長生きできるように温泉めぐりをしたいと
思っている。
マリは、10年目であり長生きしている。パンダ(マリの娘)は
元気がよく、よく食べる。16年後に2匹がおれば、それこそ
夢のようであるが、10年も生きていると家族のような気がする。
16年後は散歩につれていく・・・・・ものと思われる。
学校は石尾台小学校に続き中学校が建設され、大学、高校
はどうなるか、16年後は相当変化していることだろう。
INSの影響で情報通信は相当発達された条件になって
いるであろう。この頃は直幸も会社の中堅幹部になっており
隣の上野さんは相当いいクラスになっていることを創造する。
定年は60才に延長されていると思われる。
リクルートも電電公社と締結したINSで相当発展されあなたも
中堅幹部にはなっているものと思われる。体には十分留意され
会社と家庭をうまくやるように心がけてください。
単身赴任生活にまたがる年令であるが、家族との話し合いも
大切である。INSで在宅勤務ができる時代だから単身赴任
生活は今より減少されるものと思われる。
あなた達も直幸、京子も自分の子供を学校へやらねばならぬ
大切な時期です。みんな健康でこの家に入れぬ位、元気で
正月は集合したいものです。
想像もつかない位、世の中は進んでいるものと思う。集合不可能な
場合はテレビ電話で対談できることでしょう。いづれに
しても元気な顔が見れるものと思う。
21世紀のあなたへ

1階6畳の間にて


(敏行)
当時の風景が浮かびます。
今から27年前で、直幸が結婚前です。
まあ、テレビ電話といわずまたお盆休みには
集まりましょう。


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