犬とキャンプと写真好きな爺&婆の気ままな日誌

昔話:上野駅

 爺が会社へ入った頃、中卒の就職希望者は文字通り金の卵でした。
神奈川・茨城の事業所では高校卒業予定者の求人活動を東北各県で活発に行って
いました。

 3月下旬の赴任日の朝、駅のホームで在校生が整列して校歌を合唱すると列車の
座席で女子がすすり泣き始め、列車が動き出すと、
それまで頑張っていた男子も肩が震え始めます。
その時、付き添いで同乗している私まで何か切ない思いにかられました。

          

               
 現地への出迎えに換えて、上野駅の18番線あたりで小ぶりの社旗を目印にして
東北からの新入社員を出迎えたこともありました。
 上野駅には今も当時の東北の香りがある様な気がします。

                
                       
 東京オリンピック開催当時の高校生にとって長距離旅行は、おそらく修学旅行くらいでしょう。
その若者が、初めて親元を離れて見ず知らずの土地で暮し、働くのですから不安と心細さで
一杯だったと思います。 ところが入社して半年も過ぎると、ベテランのような顔つきをして
現場で働いているのですから、その逞しさに感心させられました。 

コメント一覧

セーラ爺&婆
淡雪
“はやぶさ”は長崎、熊本まで行くのですね。
今の季節、南に憧れますね。でもね、「あ~~南のほうにぶらっと旅行いきてー」と思うのは独身の特権かも?!
 東京を夜11時半に出発して翌朝7時頃、大垣着の鈍行(快速?)は遊び半分、実用半分で何度か乗りましたが、元気な若者向けですね。
 東京駅といえば昔、東京に春の雪が降った時、長靴を履いてカメラを持って、東京駅の屋根に積もる雪と明治神宮の雪景色を撮りに行った淡い思い出があります。
そらにぃ
上野駅
上野駅といえば「18番ホーム」が無くなって数年経ちますね。今では大阪まで新幹線で1時間半ですから、列車での長距離旅行という概念はもはや、一部の旅行好きを除いては「昔話」になりつつあるのかな?なんて感じてしまいます。
今日東京駅の電光掲示板に「寝台特急はやぶさ」の文字がありまして、「あ~~南のほうにぶらっと旅行いきてー」と思ってしまいました。
セーラ爺&婆
懐かしい昭和
コニノアママさま 
「オールウェイズ三丁目の夕日」は見ていませんが、「あの時代の風景や街並み、人間のふれあいは懐かしい感じがする」とおっしゃるコニノアママのご感想は良く分かる気がします。
青森ご出身の方にも宜しくお伝えください
(皆さんのコメントに感激して、やたらに八方美人の爺です)
セーラ爺&婆
ヤフーで検索
パロ ママさん デジカメに関する情報は①家電量販店で実物を触って、店員さんに遠慮なく聞くのが一番です。但し、一度や二度見たからといって直ぐに買うのは得策ではありません。デジカメの一眼レフは安くなったといっても、それなりの出費ですし、買ったら大事に長く使いたいですから。②「ヤフー」の「ショッピング」→「AV機器」→「デジタルカメラ」→「本体」と進み、「一眼レフ」と入力して検索してみてください。各メーカーの機種・金額が沢山のっています。
先ずは、修理費用の見積もりをしてもらった方が良いですね。
セーラ爺&婆
東小金井
cooさん 那覇ですか、格式が高いお方だと思っていました(ころっと態度をかえる爺です)

爺はJRの国分寺駅を利用していた事が有りましたので武蔵小金井、東小金井に近い桜堤は懐かしい感じです。と言っても実際には土地勘はありません。
船中2泊とは、小学生にとっては大航海でしたね。

そういえば、先日出張で行かれた四国も鉄道よりもバスが主でしたね。
コニノアママ
映画「オールウェイズ三丁目の夕日」に上野駅の集団就職のシーンがありましたね。私はあの映画の時代よりもう少し後の生まれですが、あの映画の風景や街並み人間のふれあいは懐かしいものがあります。
実は私の好きな某俳優が出演していたので、見に行ったのですが思いがけず幼い頃を思い出して涙涙でした。一緒に見に行った友人は青森出身の人で、やはり上野駅のシーンはボロボロ涙してました。
パロ ママ
本当にしみじみとしますね~。私の祖父母はみな亡くなってしまったので昔の話を聞くこともできなくなってしまいました・・・。寂しいです。
小さい時は何とも思わなくても今になって色々聞いておけばよかったと思う話が沢山あります。
 話は変わりますが・・・。前回のカメラの話、実はチンプンカンプンでコメントできなかったのですが(笑)実は今日、姉妹のローズちゃんとドッグランに行った時にデジカメが故障?してしまいました。修理に出すか新しいのを購入するか迷っています。
ローズパパが購入したばかり!という一眼レフ?カメラを持って来ていて、ウチの主人もいいなー買うかー!なんて言い出してしまいました。私はつかさず買うなら「セーラー爺さんやそらにぃさんに聞いてみなよ?」と答えましたが・・・。かなり高いものですよね~?
オフ会メンバーの方も持っている方が増えてきましたね(^^)セーラー爺さんの影響力大だー!(^^)
coo
確か船中2泊でした・・・
ワタクシ、生まれも育ちも沖縄・那覇でございます。
電車のないところで育ったので、広い駅構内では中で迷い、切符は方向とかによって違うのか?とかわからないこと尽くしでした。
高校卒業して出てきたのですが、いつの間にかこちらでの生活のほうが長くなっちゃいました~。
ちなみに兄は武蔵野は桜堤に住んでました。そうそう、桜の花が白っぽいピンクで、花びらがハラハラと散ることにも驚きました。沖縄の桜はどぎついピンクで、花ごとぼたッと散ってしまうので…。
セーラ爺&婆
そう言えば
cooさんが生まれる前の話に付き合ってくれて有難うございます。船で東京へいらした、となると・・・どこから?見当がつきません。
それは置いといて、「武蔵野」の響きも好きです。昔は東京にも雑木林が沢山ありました。 爺は最近の改札口が苦手です。切符以外は使った事が有りません。
coo
しみじみ・・・
上野といえば「上野発の夜行列車降りたときからぁ~」という歌が思い出されるワタクシです。古っ。
なので、やはり上野というと北国が連想されるんですよね~。
私は初めて東京に来たのは小学校6年生のときで、船でした。その頃、兄が武蔵野に住んでいたので、そこに行きましたが、カルチャーショックがいろいろありましたね~。懐かしい~。
最初は電車の切符の買い方すらわかりませんでした~
セーラ爺&婆
鉛版 
秀和さんのお父様も大変なご苦労をされたのでしょうね。昭和40年当時の印刷工場はおそらく、文選(作業)とか亜鉛凸版とかが一般的で、かなりの重労働だったと思います。
たしか、大手町の新聞社で輪転機にかける鉛版がプラスチックに切り替わった時期です。
爺が横道にそれていると、思わぬ話題が展開して楽しいのです。又是非宜しく。
お父様(ついでに爺&婆も)を一層大事にしましょう! 
佐伯秀和
実は好きなんです。
 東京オリンピックにつられて出てきてしまいました。子供の頃、私は親戚のおじさんから戦争の体験談や父親から集団就職の話を聞くのが好きでした。私の父は東京オリンピックの翌年に生まれ育った宮崎から上京し、東京の印刷工場に15歳で就職したそうです。15歳で親元を離れて自立なんて今年35歳の私にはとてつもなく凄い冒険談です。
 今の私の生活は私よりも先に生きた多くの先輩達の努力の結果という土台の上で成りたっているように感じています。次の世代に自信を持って見せられるようなそんな生き方を出来ればいいなと思います。 
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