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本と音楽とねこと

愛と執着の社会学

ましこひでのり,2013,愛と執着の社会学──ペット・家畜・えづけ、そして生徒・愛人・夫婦,三元社.(2.28.24)

 ウィキペディアからの引用がやたら多く、それって、どんなものなのかなあと思ったし、あほー知恵袋からの引用を見たときは思わずのけぞったけど、キラリと光る思考にはずいぶんと共感したし、自分自身、いろいろと内省、反省しないといけないな、という気付きが得られて、読んで良かった。

 いずれにせよ、ヒトの食生活は本能ではなく文化がきめます。物理的に「食べられる物」が「食べ物」とはならないと(略)。生理学的に栄養がありリスクがほとんどなくても、食物・料理とはみなされない「素材」があり、ヒトやペットは普通そこにはいらない。ごくマレに摂食対象になってしまうという事実
も否定できません。わたしたちのおおくが性愛対象や乳幼児をいつくしむ行為・心理は、「たべてしまいたい」といった感情をともない、ほおずりしたりにとどまらず、くちびるで接触したくなったりすること。“pet"という名詞が動詞化して「かわいがる」になり、それは性的意味をもつようになったこと。動物由来感染症に経口感染するとか、ペットに対してくちうつししたりする層が懸念されるようになったことなどを、ここでは確認するにとどめておきます。
 ちなみに、『ヒトはなぜペットを食べないか』の著者自身は愛くるしい赤ちゃんをたべたいくらいにおもう感覚とか、愛する人物を殺害したべてしまった人物の心理が、「愛する対象を何もかも自分のものにしたい、永遠に自分のなかで一体となって生かしたい、という食と愛の合一性」をしめしているとのべます(略)。さらには、性愛と摂食に関する言語表現が世界各地で共通しているとします(略)。具体例をあげると、少々下品になるので、これもふせておきます。
(pp.20-21.)

 食×エロの豊穣なる世界のありようについては、『その手をにぎりたい』で触れたところであるけれども、愛着の対象を「食べてしまいたい」と思ってしまう、それは人間の摂理としてしようがないとしても、それが、対象の支配、占有、統制に繋がりかねない危険性、、、これにはじゅうぶんに警戒し、内省、自重しないといけないな。

 夫婦か、、、

 わたしは、あらためて、現行の婚姻制度を否定しているわけなんだけど、今更、離婚するなんていう面倒くさいことはしたくない、、、

 ないけど、若い人には、人間の自由を束縛する、排他的で窮屈な婚姻制度になんか縛られなくていいこと、そのことは強く主張しておきたいな、と考えている。

 いつまで続くかわからないとしても、好き合った者どうしが一緒に暮らすのも悪くないけれども、しかし、それが「籍を入れる」ってことをともなう必要なんかまるでないってこと。

 生活と人生の幾ばくかをシェアする仲間、、、それを「パートナー」、同伴者と呼ぶのは重すぎるし、「コンボイ」、連れ合いというのもちょっとちがう、「アライ」、理解者──これはもともとLGBTQ界隈の用語だけど、これがいちばんしっくりくるかな。

 そんなわけで、あらためて、いろんなことを再考させてくれたましこさんに感謝、です。

ヒトはなぜ愛したがるのか。なぜ愛していると錯覚しがちなのか。教育の一部はまぎれもなく調教であり育児は自己家畜化/ペット化をもたらす。愛着と執着をキーワードに「動物としてのヒト」という根源的本質を解剖するあたらしい社会学。

目次
第1部 ヒト以外の動物の位置づけ
ペットへの愛着・執着
家畜とはなにか
えづけと観察の社会学
「琉神マブヤー」にみる都市化=非自然化傾向の社会学(3章補論1)
捕鯨擁護論と反捕鯨論の社会学(3章補論2))
第2部 家畜化/ペット化として対人イメージ
調教/しつけの社会学
「生徒」やくわりの再検討
制服の社会学(6章補論)
「親権」をとりまく現代的状況
愛人と恋人と配偶者
ストーキングとアディクション(9章補足)


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