『ネグレクト 育児放棄』は、当事者、関係者に周到な取材を重ねて書かれたルポルタージュであり、被虐経験に加えて、どのような条件が重なれば凄惨な虐待が起きるのか、得るところは大きい。
虐待死が殺人罪や傷害致死罪はてまた保護責任者遺棄致死罪として裁かれるとき、「虐待についての福祉的な知識を背景に被告人の内面に分け入ろうとする考え方と、犯罪として、起こったことの結果を償わせるという司法的解釈のせめぎ合い」(p.199.)が起きるが、中世の時代ではあるまいし、司法の判断が福祉的なそれに近づいていかないといけないだろう。名古屋地裁での判決文にある、「その犯行様態は、被告人両名が、未だ若く、人間的に未成熟であり、親としての自覚を著しく欠いていたことを十分加味したとしても、極めて残酷かつ悪質である」(p.255.)という文言は、世論におもねって恣意的に下された愚かな判断(考えれば考えるほどわけがわからない)であり、あえて「人間的に未成熟であり、親としての自覚を著しく欠いていたこと」以外に実刑判決の根拠を示すとすれば、「極めて残酷かつ悪質」と報復を希求し憤る人々の感情を代弁して実刑に処す、とすべきであっただろう。いずれにせよ、子どもの虐待死について、修復的司法ではなく、応報的司法を適用することの愚かさを強く感じる。かりに、報復で回復する社会的公正があるとすれば、それは社会が共同体として子どもの育ちに責任を負うという条件あってのものである。
『児童虐待から考える』は、大阪と愛知県武豊町での幼児ネグレクト、餓死事件のルポをてがけた筆者が、育児を親、とくに母親任せにするのではなく、地域社会が共同体として子どもの育ちに関与していくしくみへの転換を、民間の取り組み事例から展望する。
杉山春,2017,ネグレクト 育児放棄──真奈ちゃんはなぜ死んだか,小学館.(12.6.2020)
3歳の女児は段ボール箱でミイラのように餓死していた。2000年12月10日、愛知県名古屋市近郊のベッドタウンで、3歳になったばかりの女の子が20日近くも段ボールの中に入れられたまま、ほとんど食事も与えられずにミイラのような状態で亡くなった。両親はともに21歳、十代で親になった茶髪の夫婦だった。なぜ、両親は女の子を死に至らしめたのか、女の子はなぜ救い出されなかったのか。3年半を超える取材を通じてその深層に迫った衝撃の事件のルポルタージュ。第11回小学館ノンフィクション大賞受賞。
杉山春,2017,児童虐待から考える──社会は家族に何を強いてきたか,朝日新聞出版.(12.6.2020)
子どもを育てられなくなった親たち。誰が「家族」を壊しているのか?年間10万件を突破し、今なお児童虐待は増え続けている。困窮の中で孤立した家族が営む、救いのない生活。そこで失われていく幼い命を、なぜ私たちの社会は救うことができないのか?数々の児童虐待事件を取材した著者が、その背景にある日本社会の家族規範の変容を追いながら、悲劇を防ぐ手だてを模索する。
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