ウェブの閲覧履歴、ネットショッピングの履歴、スマートフォンのGPS機能による移動記録等々、わたしたちのプライバシーなど、各種ネットビジネスを展開する企業には筒抜けである。だからといって、そのことが、ネットに「遍在する私」というコンセプトにつながる、その論拠が不明である。また、ビッグデータに蓄積された「わたし」の生がなぜ「宿命」的なものになるのかも、これまた論拠不明である。
このような論理の飛躍がありながらも、随所に読ませどころがあり、個々の議論はとてもおもしろい。「部分」を論じる力量はすばらしい。しかし、著者の鈴木さんは、「部分」と「全体」をつなげるのが、どうも苦手のようだ。
目次
ウェブ社会の「思想」と「宿命」
1 「人間」―宿命に彩られる生
ユビキタス―個人情報管理型の社会
バーチャル―越境する電子マネー
記憶と記録―データ化される「わたし」
宿命と成長(1)―島宇宙の外を生きられるか
2 「社会」―民主主義の困難を超えて
共同性とマスメディア―「偏向報道」批判の背景
民主主義―グーグルが描く未来像
宿命と成長(2)―関係へと開かれる生
「ユビキタス」「ウェブ2・0」「ネットビジネス」…華々しい流行語の陰で何が起きているのか。蓄積された個人情報をもとに、各人の選ぶべき未来が宿命的に提示される。カスタマイズされた情報が氾濫する中で、人は自らの狭い関心に篭もり、他者との連帯も潰えていく。共同性なき未来に、民主主義はどのような形で可能なのか。情報社会の生のゆくえに鋭く迫り、宿命に彩られた時代の希望を探る、著者渾身の一冊。
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