ただ、なんらかの物質、行為、関係への依存が、生活破綻や自傷他害にいたるとなると、それは、のっぴきならない問題となる。
『依存症』、『依存症臨床論』は、アルコール依存症者をはじめとして、長年にわたって数多くの問題当時者と向き合ってきた筆者が、みずからの臨床経験を振り返りながら、依存症者と家族、自己コントロールとマクロ社会の問題にまで考察を拡張して論じた書物である。
社会学でいう「ゆたかさのアノミー」とは、過剰刺激に充ち溢れた社会において、働くこと、生きることの意味が失われ、目の前の刺激にのめり込んだ挙句、そうした状態に陥った自己を価値なきものとして自ら否定する病としてとらえることができるが、とくに『依存症』で論じられているのは、この「ゆたかさのアノミー」の問題にほかならない。
なにかに夢中になること、依存することは、生活破綻や自傷他害にいたらない限り、それ自体がとくに問題なのではない。おそらく、人生に意味などないだろうからである。ただ、虚構でも良いからもっと濃密な意味を生きたかったという悔恨を残さないためには、自らの過剰依存の問題について振り返ってみるのも、悪くはないだろう。
衿野未矢,2003,依存症の女たち,講談社.(12.14.2020)
「私ってセックス中毒なの」―身も心もボロボロなのに止められない男漁り。自己破産寸前の浪費癖に加え、酒と過食に溺れ、深夜でもケータイで長電話する女性たち。なぜ、そこまでのめりこむのか。誰にも忍びよる依存症の恐るべき実態をルポ。複合要因を分析し、克服と予防の処方箋を示す。
信田さよ子,2000,依存症,文藝春秋.(12.14.2020)
酒、たばこ、薬、買い物、ゲーム、ギャンブル…快楽は、我々が不安や悩みから束の間逃れ、明日をよりよく生きるためのセルフコントロールの手段だ。しかし、これらが悪習慣化した「依存症」は周囲、とくに家族を巻き込み、悩ませ傷つけるだけでなく、のちに何らかの子どもの問題行動として噴出することがあり、人間関係障害、家族病とも言われている。「依存症」とは、時代の要請に応え、走り続けようとした日本の「近代」の陥穽、家族共通の病なのである。
信田さよ子,2014,依存症臨床論──援助の現場から,青土社.(12.14.2020)
医療に拠らない方法でいかに依存症と向き合うのか。著者は、その経験と実践をとおして、臨床心理士だからこそできることを常に考え続けてきた。その使命感に向き合いながら、これまで光のあたらなかった依存症臨床を歴史的に捉えることで練り上げられた現場の“哲学”をあきらかにする、画期の書。
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