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気色悪い、自意識過剰の承認クレクレお化けが跋扈する時代において、承認不足による不安の正体をつきとめるべく深く考察をめぐらした良作。
山竹さんは、承認の三層構造を提起している。
家族、恋人、親友など、愛と信頼の関係にある「親和的他者」とのあいだで成立する「親和的承認」、学校の級友や職場の同僚など、集団的役割関係にある「集団的他者」とのあいだで成立する「集団的承認」、社会的関係にある他者一般の表象である「一般的他者」を想定して成立する「一般的承認」、以上の三層である。(p.60)
親和的承認は、かつて中野収さんが「家族する家族」という秀逸なコピーで言い表したように、儀礼化した「空虚な承認ゲーム」か、「スプーン一杯の幸せ」程度の脆弱で小市民的な私生活中心主義に終わる。
集団的承認は、どうでも良い内容のLineのグループトークから離脱できなくなったり、いじめやハラスメントの標的にならないか汲々としたりと、息の詰まるような閉鎖的人間関係のなかで、相互に過同調を強いることになりがちである。あるいは、日本の職場集団に顕著にみられるように、所属集団の利益、権益ばかりを追求することにつながり、その結果、公益が破壊される。
一般的承認は、親密な他者や所属集団の枠を超えて、おおむね高く評価される一般的な他者への貢献や、共感、賛意等により成立するものであるが、ソーシャルメディアのなかでのネトウヨや陰謀論者にみられるように、エコーチェンバーの連鎖の果てにしばしば社会を分断する。この点については、わたしは、山竹さんのように楽観的になれない。
と考えていくにしたがい、自分がそもそもたいした承認欲求をもっていないこと、もっているとしても表層的なレベルにとどまっていることに思い至った。
自分がそうでも、承認不足に足掻いている人たちが少なくないのは事実なのだから、この問題について考えることは重要である。
「認められたい」は現代社会の病なのか? 現代社会で承認が大きな問題として浮かび上がってきた背景と解決策。「『空虚な承認ゲーム』をどう抜け出すか。その『答え』ならぬ『考え方』を教える本書は、規範喪失の時代における希望の書である」(斎藤環氏)。現代社会に蔓延する承認の問題を真正面から捉えた注目書! 私たちを覆う「生きにくさ」の本質に迫る。
目次
第1章 「認められたい」の暴走
家族の「空虚な承認ゲーム」
「認められたい」若者たち ほか
第2章 なぜ認められたいのか?
アイヒマン実験
服従の心理と承認欲望 ほか
第3章 家族の承認を超えて
発生論的観点からの考察
承認欲望の起源 ほか
第4章 現代は「認められたい」時代か?
「認められたい」欲望の普遍性
自由か、それとも承認か ほか
第5章 承認不安からの脱出
「認められたい」不安からの出口
自己決定による納得 ほか
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