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たいへんな労作。これが、東京大学に提出された博士論文の一部を圧縮、修正したものであるというのだから驚く。
明治時代の慈善事業、社会事業から現代の社会福祉、非営利活動にいたるまで、一時期、「ボランティア」として表象された「贈与」の行為が、時代ごとにどのように称揚、あるいは批判され、人々に受容されてきたのか、とくに、受け手に負債を負わせてしまうという贈与のパラドックスが、いかにして認識レベルで解消されてきたのか、活動者たちの言説をとおして明らかにされている。まさに、「贈与のパラドックスの知識社会学」と呼ぶにふさわしい内容だ。
「贈与」の行為をめぐる言説の評価軸となるのが、社会、とくにアソシエーションの国家からの自律と、国家による社会権の保障である。1970年代から加熱したボランティアをめぐる議論は、戦前の勤労奉仕という国家により動員された行為を一方の極点、生活困窮者への人々の善意(による援助)が国家の生存権保障を免責してしまうというもう一方の極点、そこからの距離によって、たたかわされてきた。
1990年代以降、ボランティア(活動)は、互酬的活動、非営利活動という概念枠組みに回収されていき、国家からの自律性や政府への異議申し立てはさほど重視されなくなってしまった。しかし、国家による動員(可能性)と社会権の実質的なはく奪は、等閑視してよいものではない。
「贈与」の行為は偽善でしかない、というシニシズムをどう乗り越えたら良いのか。この大きな問題についての議論は、おおいに共感できるものだ。
本書は、福祉社会学研究のもっとも良質な到達点を示すものであり、社会福祉を学ぶ者なら一度は参照すべき重要な文献である。
人々を社会参加へと枠づける言葉は、どのような政治的・社会的文脈で生まれ、いかなる帰結をもたらしてきたのか。その言葉がまとう形はどのように作動するのか。近現代の日本におけるボランティア言説の展開をたどり、参加型市民社会のあり方を鋭く問いなおす。
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