見出し画像

本と音楽とねこと

トラウマ

宮地尚子,2013,トラウマ,岩波書店.(4.13.24)

(著作権者、および版元の方々へ・・・たいへん有意義な作品をお届けいただき、深くお礼を申し上げます。本ブログでは、とくに印象深かった箇所を引用していますが、これを読んだ方が、それをとおして、このすばらしい内容の本を買って読んでくれるであろうこと、そのことを確信しています。)

 抑制された穏やかな叙述をとおして、トラウマが人の人生に及ぼす甚大な弊害、苦悩についてあらためて再認識させられた。

 人の苦悩、生きづらさ、不適応、パーソナリティ障がい、精神疾患の原因を、記憶を捏造させてまでトラウマに帰着させようとするセラピー文化を、ウルズラ・ヌーバーは手厳しく批判した。(『〈傷つきやすい子ども〉という神話―トラウマを超えて』

 また、小松原織香さんは、自らのトラウマ──性暴力被害の記憶が、はたして確たるものなのか、自問自答を繰り返した。(『当事者は嘘をつく』

 ことほどさように、トラウマとなった被害経験の対象化は、当事者にとっても──いや当事者だからこそと言うべきか──難しい。

 だからといって、わたしたちは、トラウマ記憶の対象化をやめるわけにはいかない。

 なぜなら、その経験と記憶は、しばしば、人をして自死せしめるほど過酷なものであるのだから。

 トラウマは、戦争、災害、事故等による被害だけでなく、虐待、いじめ、性暴力等による被害においても生じるものであり、長期にわたってその記憶に苦しめられ、依存症、自傷(的な行為)、自殺企図、不適応、パーソナリティ障がい、精神疾患に陥る人たちは少なくない。

 とりわけ、成人期以前に受けた、「反復的トラウマ」への対処は、非常に難しい。

 トラウマ体験を分類するには、具体的な被害の内容で分ける以外に、いくつかの方法があります。
 まず、一回もしくは短期間の体験か、複数回もしくは頻回で長期にわたる体験かに分ける方法です。前者をシングル・トラウマといい、後者を反復的トラウマと呼んだりします。そのどちらであるかによって、その後の反応(症状)や、回復へのアプローチのしかたは大きく異なってきます。
 シングル・トラウマの場合、反応(症状)も比較的明確であり、因果関係もはっきりしています。けれども、反復的トラウマの場合、加害者が被害者を支配したり操作したりしていることが多く(だから長期化し反復するのですが)、その状況への順応や迎合といった反応が被害者にはおきてきます。また人間関係の中でおきるからこそ、罪悪感、責任感、恥、プライド、他者への配慮、道徳観、社会的アイデンティティなどの要素も入ってきます。もちろん、時間経過が長いことも反応を複雑にします。こういった要因のため、反復的トラウマでは反応(症状)が多岐にわたり、因果関係がきれいにみえなくなりがちです。
 もう一つ重要な区別は、トラウマ体験が、成人に起きたものか、発達途上にある子ども時代におきたものかです。第2章で触れますが、子どもの場合、トラウマ反応だけでなく、発達を阻害されることがさらなる影響をもたらすからです。子どもの場合も、シングル・トラウマか、反復的トラウマかの区別が重要になってきます。児童精神科医のレノア・テアは、シングル・トラウマの衝撃の結果をI型トラウマ、長期反復性のものをII型トラウマと分けています。II型トラウマでは、否認、心的麻痺、自己催眠、解離、極度の受け身性と憤怒爆発との交代などの症状がおきることを、彼女は指摘しています。
(pp.6-7)

 トラウマ反応に苦しむ者には、自らの過酷な被害経験を、精神科医やカウンセラーに「語る」こと、そして、最終的には、その忌まわしい記憶を、他のおびただしい数の記憶の流れのなかに、一エピソードとして落とし込む必要がある。

 「想起と服喪追悼」は、トラウマ記憶に向きあい、喪ったものを受け入れていく段階です。トラウマ記憶に向きあうかどうかは、症状の程度や、本人の意思のほか、生活上の安全や周囲のサポートがどれだけ確保されているかにもよります。トラウマ記憶に向きあうことは本人にとって苦痛であり、向きあっている期間は不安定になりがちだからです。すべてを明らかにすることが治療の目的ではありません。トラウマ臨床に限らず、精神科や心理の臨床は「虫食いだらけで結末も決まっていない推理小説を読み続ける」ようなものではないかと、私はいつも思っています。ただ、症状が強く、固定化し、本人の生活に支障を来している場合は、タイミングを見計らって、きちんとトラウマ記憶に向きあうことはとても重要です。直面化することによって、異物のように脅威を放っていたトラウマ記憶が、衝撃度を弱め、まとまりのある出来事として人生の中に統合され、コントロール感や自信を取り戻していくのです。
(pp.90-91)

 トラウマ反応からの回復、そのとっかかりとなる「語り」が困難な被害経験として、宮地さんは、以下のものを挙げる。

内容が重すぎるもの
私的・親密的な領域のことがら
セクシュアリティ(性)に関わること
「あたりまえ」として日常化されていること
養育者やケア提供者,「お世話になった人」からの被害
所属集団内での被害
マイノリティ集団内での被害
共犯性や加害者性、犯罪性を帯びるもの
共感を得られない、叱責・非難されると思うもの
偏見やスティグマがもたらされるようなもの
(表2-1、p.53)

 トラウマ反応に苦しむ人たちを「語り」に導く相談支援体制の重要性は言うまでもないが、相談支援者が、当事者の「語る」勇気を引き出すことができるよう、当事者との信頼関係を築くことも大切だ。
 相談支援者とのファーストコンタクトが失敗すれば、当事者は、以降、一切相談支援機関を頼らなくなるおそれがある。

 

 宮地さんのトラウマ論の中核にあると言っても良いものが、「環状島」の作業モデルである。

(p.44、この図は、斎藤環さんの「失われた「環状島」」から孫引きした。)

 トラウマによるPTSDから生還した者は、「内斜面」にいる。

 サバイバーは、しばしば、「内海」から「内斜面」に這い上がろうとする人々の支援者、アライとなる。

 直接傷ついていないとしても、傷ついた人のそばにいることは、想像以上に体力を消耗します。周囲の無理解により、当事者がさらなる外傷(再外傷・二次被害)を受けることも少なくありませんが、一方で周囲の人たちもしばしば傷つきます。当事者から被害の話を聞く中で、恐怖や絶望感、社会への不信感などが強くなったり、話の内容が夢の中に出てきたり、似たようなトラウマ反応を起こすこともあります。そういった傷つきは「代理外傷」や「二次的外傷」と呼ばれます(「二次的外傷」という言い方は、当事者が事件後に遭う「再外傷」や「二次被害」と混乱しやすいので、私は「代理外傷」という言葉を用いています)。
 また、回避反応も起きます。私はテレビのニュースをあまり見ません。特に誘拐や監禁、虐待などの事件、女性被害者や女性加害者への興味本位の報道や中傷は苦手です。これまで診てきた患者さんたちとなるべく重ねてみないように、感情移入しないように努力はするのですが、どうしても後に残って、ぐったりしてしまうのです。
(pp.80-81)

 臨床経験が豊富な精神科医さえ、「代理外傷」によるストレスに悩むのであるから、相談支援の経験がない者──とくに、「内斜面」に這い上がっているサバイバーには、「代理外傷」を負い、「内海」に引きずり込まれるリスクがある。
 それでも、「語り」を傾聴してしまうのは、人間の善意にほかならないのだから、支援者やアライの立ち位置は非常に難しい。

 本書は、トラウマ反応に苦しむ当事者にも、当事者を支援する、またはその可能性のあるすべての人たちにも、たいへん役立つ内容の作品である。

 様々な要因と複雑に絡み合い,本人や周囲にも長期に影響を及ぼす「心の傷」.その実際は? 向き合い方は? そして社会や文化へのかかわりは? 研究者として,また臨床医として,数多くのケースをみてきた第一人者による待望の入門書.著者は究極の心のケアとはとまどいながらもそばに居続けることといいます.きっとそのヒントを得られる一冊です.

目次
第1章 トラウマとは何か
第2章 傷を抱えて生きる
第3章 傷ついた人のそばにたたずむ
第4章 ジェンダーやセクシュアリティの視点
第5章 社会に傷を開く
第6章 トラウマを耕す


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「本」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事