本と音楽とねこと

民主主義が一度もなかった国・日本、来るべき民主主義、リベラリズムの終わり

 『民主主義が一度もなかった国・日本』は、民主党政権成立直後、ああ、やっと日本にもまともな統治機構が成立したかと、わたしも浅はかな思いを抱いたことを思い出させてくれる、ほろ苦い対談録だ。当時としては、本書で的確に描かれていたとおりの未来像しか思い浮かばなかった。
 『来るべき民主主義』は、住民の共同資産であった自然環境を破壊する、無用の道路建設に対する住民運動に参加した哲学者が、運動に参加しつつ深く「来るべき」(永遠に実現しないがつねにめざしていくべき)民主主義について考察した書物だ。新潟県巻町(原発立地)、徳島市(吉野川可動堰)のそれともども、この小平市での住民運動も、草の根民主主義のモデルとして参照され続けるだろう。
 『リベラリズムの終わり』は、同性婚は認めても一夫多妻婚や一妻多夫婚を認めず、さらには、当事者同士が合意したインセスト、近親婚を認めないリベラリズムの欺瞞を暴く。また、生活保護の漏給問題を糺しながら国民負担の問題を等閑視する考えを、強く批判する。説明がくどいくらいていねいで、読者に親切な内容だ。ロールズ正義論は、マキシミン・ルールではなく、コミュニティの共通前提において正当化されうるという指摘には、なるほどと思った。


宮台真司・福山哲郎,2009,民主主義が一度もなかった国・日本,幻冬舎.(11.26.2020)

じつは豊かな時代に民主主義は不要だった。日本の政治家は密室談合して地元に利益誘導すればよいだけだったからだ。しかし経済が収縮する時代は、民主主義が機能しないと、それはそのまま国土と人心の荒廃に直結する。そうして今回の政権交代が起こった。多くの国民は気づいていないがこれは革命だったのだ。だが、まだ油断は禁物だ―。日本を代表する危険な社会学者とマニフェスト起草に深く関わった民主党の頭脳が、この革命の中身と正体について徹底討論した。


國分功一郎,2013,来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題,幻冬舎.(11.26.2020)

二〇一三年五月、東京都初の住民直接請求による住民投票が、小平市で行われた。結果は投票率が五〇%に達しなかったため不成立。半世紀も前に作られた道路計画を見直してほしいという住民の声が、行政に届かない。こんな社会がなぜ「民主主義」と呼ばれるのか?そこには、近代政治哲学の単純にして重大な欠陥がひそんでいた―。「この問題に応えられなければ、自分がやっている学問は嘘だ」と住民運動に飛び込んだ哲学者が、実践と深い思索をとおして描き出す、新しい社会の構想。


萱野稔人,2019,リベラリズムの終わり──その限界と未来,幻冬舎.(11.26.2020)

自由を尊重し、富の再分配を目指すリベラリズムが世界中で嫌われている。米国のトランプ現象、欧州の極右政権台頭、日本の右傾化はその象徴だ。リベラル派は、国民の知的劣化に原因を求めるが、リベラリズムには、機能不全に陥らざるをえない思想的限界がある。これまで過大評価されすぎていたのだ。リベラリズムを適用できない現代社会の実状を哲学的に考察。注目の哲学者がリベラリズムを根底から覆す。

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