反公害運動の闘士、宇井純・沖縄大名誉教授が死去
水俣病研究や東京大学での公開自主講座で反公害運動に大きな影響を与えた沖縄大名誉教授(元東大工学部助手)の宇井純(うい・じゅん)さんが11日、胸部大動脈りゅう出血のため死去した。
74歳だった。
告別式は16日午前10時、東京都品川区西五反田5の32の20桐ヶ谷斎場。喪主は妻、紀子さん。
東京都生まれ。東大工学部卒業後、民間企業を経て、1965年に同学部助手に就任。独自に水俣病の原因究明に向け研究を行い、その結果を国際会議で発表。1970年からは、当時「象牙(ぞうげ)の塔」の象徴だった東大で、一般市民を交えて公害問題について学ぶ「公害原論」を、大学非公認の夜間自主公開講座として15年間にわたり主宰した。
企業や行政の側に立つ学者の姿勢を批判し、公害被害者と共に闘う姿勢は、全国の反公害運動に大きな影響を与えた。しかし、東大では昇進の道を閉ざされ、「万年助手」として全国にその名を知られることになった。
1986年、大学側の強い招きで沖縄大教授に就任。ここでも新石垣空港建設反対運動などの環境問題に取り組み、2003年に同大を退職した。
国連環境計画グローバル500賞など数々の賞を受賞。著書に「公害原論」などがある。
胎児性水俣病の研究で知られる熊本学園大教授で同大水俣学研究センター長の原田正純さん(72)は「公害問題について、被害者と研究者が一緒になって問題の解決に当たるという考えを提唱した人だった。(1972年に)ストックホルムで開かれた国連人間環境会議で、水俣病患者が水俣病の悲劇について語ったのも宇井さんのアイデアだった。水俣病問題を世界に広げた人。非常に残念」と悼んだ。
(2006年11月11日22時32分 読売新聞)
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