本書は、神社の裏山で、頸動脈を切り、首を吊って自死した哲学者の遺稿である。
須原氏は、とくに悩みを抱えていたわけではなく、ましてや抑鬱症状にあったわけでもない。「もともと明るくて陽気な人間が、非常にサバサバした気持ちで、平常心のまま、暗さの影も異常性も無く、つまり人生を肯定したまま、しかも非常にわかりやすい理由によって、決行される自死行為がある」(p.53)ことを身をもって示した。
三島由紀夫や伊丹十三がなぜ自死しなければならなかったのか、本書ではじめて納得のいく理由がわかった気がする。人生の喜びを極め、自ら高をくくり、幸せな状態のまま、自らの意思により死ぬ。「生」から「老・病」を回避し一気に「死」に至る生き方。究極の尊厳ある自己決定といえるだろう。なぜ幾多の思慮深い人々が不可解な自死を遂げてきたか、疑問が氷解した思いだ。
わたしは、小心者なんで、頸動脈を切ることなどできそうもないので、いざとなれば、薬物を併用しようと思う。しかし、くれぐれも知己のある者や死体を処理する人の迷惑となるような死に方はしてはいけない。また、本書は、目の前の苦悩から逃避する死を奨励するものではけっしてないので、その点も留意すべきだろう。
須原一秀@wiki
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