太極拳の原点と決め付けられないが、1795年「陰符槍譜」という槍術の書物を出しています。文武両立の学者ではなかったかな?この槍術の書き出しが「太極から両儀を生み、この陰陽両儀を以って名とする」とあるが、内容は周敦頤(1017~)の
「周子全書」を読んで引用したらしい。以後の武術家達の鍛錬法のチャートとして成っただろうと思われるが、しかし、あくまでも僕の推測で検証にもと基くものではない事を書き添えておきます。
武術の鍛錬精進を重ねていく過程で大切な精神の有り方は、宇宙の運用に従事して姿勢と動作を常に正しく矯正して剄力の法則を身に付けなければならない。
動と静が陰陽をなし変化を敏感に覚り身のこなしを熟練する、相対するものの動きをいち早く感知するセンサーで制御、これが太極拳の妙技なのです。
太極は無極より生ずる、陰陽の母なり、動すれば分かれ、静で合する、互いに過不足なく、曲伸自在に、人が剛ならば、我は柔でこれをかわす、人、逆らえば、我
従ってまといつく、動き急なればそれに応じ、動き緩ければそれに従う。
千変万化なれども 道理は一貫したものなり、老練により相手の動きを悟り、悟事
に依って、自己の練達の自信を深め力まず、うなじを伸ばし 精神集中冷静にして
気は丹田に沈める。
かたむき揺るがず、自在に動ける鍛錬の成果を会得しても、人に我を知らさず 我
のみ人を知る、英雄向うところ敵なく、これ以上優れたるものなし、(一部割愛)
これすべて先天自然の本領であり天からの授かりもの、力のみで勝にあらず、歳を
かさねても人の模範とされいかようにも快速にこなす、動きをかわせない者は自ら人に制せられる、虚実の道理 いまだ悟れぬゆえんである、この欠点を改めようとするならば陰陽を知るべし。
(専門語の部分割愛)真に己を捨て、人に従うことが出来る、あせって近道をすれば誤り多く1ミリの差が千里の誤りとなる、学ぶ者は不明瞭のままであってはならない、これを論とする。
斯様な教えが、4000ねんの東洋哲学の真髄なのですが、とてもや学習が追いつきません、しかし、僕は思う高邁なる論理で具現されてある、今、此処の自分が正しく太極拳の道を歩む限り、何時かは自己の具現体にオーラーが陰陽の宇宙に煌く日
もあるだろう、夢はいらない真摯に鍛錬あるのみ。
途中、文章を僕なりに、作者の意を勘案しながら変えました、このブログの主旨が
武術の人間性を眼目としてありますので、深い御深慮希います。
「周子全書」を読んで引用したらしい。以後の武術家達の鍛錬法のチャートとして成っただろうと思われるが、しかし、あくまでも僕の推測で検証にもと基くものではない事を書き添えておきます。
武術の鍛錬精進を重ねていく過程で大切な精神の有り方は、宇宙の運用に従事して姿勢と動作を常に正しく矯正して剄力の法則を身に付けなければならない。
動と静が陰陽をなし変化を敏感に覚り身のこなしを熟練する、相対するものの動きをいち早く感知するセンサーで制御、これが太極拳の妙技なのです。
太極は無極より生ずる、陰陽の母なり、動すれば分かれ、静で合する、互いに過不足なく、曲伸自在に、人が剛ならば、我は柔でこれをかわす、人、逆らえば、我
従ってまといつく、動き急なればそれに応じ、動き緩ければそれに従う。
千変万化なれども 道理は一貫したものなり、老練により相手の動きを悟り、悟事
に依って、自己の練達の自信を深め力まず、うなじを伸ばし 精神集中冷静にして
気は丹田に沈める。
かたむき揺るがず、自在に動ける鍛錬の成果を会得しても、人に我を知らさず 我
のみ人を知る、英雄向うところ敵なく、これ以上優れたるものなし、(一部割愛)
これすべて先天自然の本領であり天からの授かりもの、力のみで勝にあらず、歳を
かさねても人の模範とされいかようにも快速にこなす、動きをかわせない者は自ら人に制せられる、虚実の道理 いまだ悟れぬゆえんである、この欠点を改めようとするならば陰陽を知るべし。
(専門語の部分割愛)真に己を捨て、人に従うことが出来る、あせって近道をすれば誤り多く1ミリの差が千里の誤りとなる、学ぶ者は不明瞭のままであってはならない、これを論とする。
斯様な教えが、4000ねんの東洋哲学の真髄なのですが、とてもや学習が追いつきません、しかし、僕は思う高邁なる論理で具現されてある、今、此処の自分が正しく太極拳の道を歩む限り、何時かは自己の具現体にオーラーが陰陽の宇宙に煌く日
もあるだろう、夢はいらない真摯に鍛錬あるのみ。
途中、文章を僕なりに、作者の意を勘案しながら変えました、このブログの主旨が
武術の人間性を眼目としてありますので、深い御深慮希います。
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