コロコロ変わる春の天気の様にわたしも同じ様に浮き沈みが激しい。
但し、水面下でだが・・・・・
なかなかと水面上に顔が出せないでいる。これって、溺れているのか?
縁起でもないが水死体は一度浮かんでから沈むと浮きあがって来ない、と聞いたことがある。
いやいや、まだ死んだ訳じゃないが浮上出来ずに足掻いてる最中なのだ。
買わなくてもいい物をを買ったのは良いのだが・・・・いや、よかぁねぇだろう・・・・
しかし、物欲は止まる事を知らず未だに何かしらを買いたくてうずうずしている。
一体、何を買えば満足するのだろうか?
その何かが分かればスッキリすると思うのだ。
かと言って、カード決済では買い物をしたくない。
以前なら、半年計画と称して買い物をしていたが、この1年の間に考えが変わった。
払うもんはさっさと支払いたい。一応として学習出来たのだと思う。
考えたら分割手数料だって馬鹿にはならない金額になる。
この手の計算ならお手の物で、この位なら・・・・と言う考えで買い物三昧。
馬鹿に付ける薬はないが、痛い目を見るとその考えが如何に馬鹿だったかを知る。
まぁ、一応として月給取りだったから出来た事なのだが、月給取りだから陥るのだ。
計画性の無さに泣きたくなる。もっと堅実的にならねばならなかったのに。
今更悔やんでも仕方がないのだ。どうやっても時間の巻き戻しは出来ない。
そして未だに、この先をどう乗り切って行くか?
この未来予想図が成り立っていない。
何しろ、世間知らず。いい歳した大人がよ、世間知らずだなんて情けないったらありゃしない。
体裁を取り繕ってはいるが、いつ、何時、ボロが出るか・・・・
他人と違うと言う事を自覚してからと言うもの、どうすればいいか?どうやったら普通に見えるか?
試行錯誤の繰り返し。
大元を辿れば「存在しない人間」だったのだ。
それがどうだろう?こうして、存在している。
世界を変えてしまったと言えるかもしれない。
親殺しのパラドックス・・・・・
時として、知らなかった方が幸せと言う事もある。
単純計算で100年経っても恨みつらみは晴れないのだ。
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