中華人民共和国建国後、計画経済が始まり、お茶も一気に組織化、制度化されていきます。
国務院直轄で、主に生産や流通の計画を立て潤滑な運営を促す「中華供銷合作総社」、国内の食料の流通・加工・販売、輸出入を取り仕切る中粮集団傘下の「中茶公司(現中国茶葉股份有限公司)」、農畜産物の対外専門商社である中国土産畜産進出口公司傘下にある「中国茶葉進出口公司」、そして生産現場には農林庁、研究所、園地、集荷拠点、機関工場、末端工場などが置かれ、様々な政府直轄企業、国営企業、国有企業が茶業に関わって行きます。(*)
その流れの中で、宜興の茶産業では生産拠点として、市内の茗嶺、張渚、湖(氵父)が選ばれ、栽培、品種育成、生産の研究、技術革新が進み、急速に発展をし始めました。
紅茶そのものの生産は、記録によれば1937年に日光萎凋→脚揉み→静置・発酵→日干しにて作られた記録がありますが、研究が盛んになって、本格的に生産に入ったのは60年代に入ってからで、紅砕茶(LTP・CTC)の研究・生産において実績が認められます。この事から、この地の紅茶は「蘇紅」と名付けられ、1964年には中国国内にある6つの紅砕茶品質研究拠点の1つとなりました。
つまり、現在、中国茶の世界で時々教科書等に出てくる「蘇紅」とは、私達が現在見る小さく柔らかな芽を使ったホールリーフのものではなく、当初は紅砕茶(LTP・CTC)だったということになります。
さて、小難しい話が続きましたが、
宜興紅茶の概要は終わりです。
お待たせ致しました。(苦笑)
次号はようやく日本の生産者も興味のある、
製造のお話になります。
(*)…中華人民共和国建国後の政府直轄企業や国営、国有企業などの制度のお話は、詳細を説明するとかなり複雑になり、お茶そのものの話題から離脱しがちになるので、あまり厳密には拘らず、少し粗い、大雑把な説明になっています。ご了承ください。